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2006年03月19日

靖国問題

高橋哲哉/2005年/筑摩書房/新書

靖国問題靖国問題についてちょっとだけお勉強。

首相の靖国参拝に関連した話題で、政治家の皆さんが「心ならずも…」から始まる言葉を連呼することと、遊就館に行ったとき に感じた情緒的な雰囲気に違和感を感じていたので、そのあたりの気持ちはこの本を読んだらある程度スッキリした。

僕が一番ひっかかっていたのは、靖国神社は明治に作られて、しかも日本側で戦った軍人しか祭られていないこと。これはアメリカのアーリントン墓地と同じという主張があるわけだけど、そういう国際的な視点と日本独自の文化の混ざり具合が妙に気になる。

この事について著者の高橋さんは丁寧に解説されている。日本では「元寇」後に北条宗時、豊臣秀吉による「朝鮮出兵」後に島津義弘をはじめとする日本の武将が敵味方関係なく、両者ともに弔っていたそうで、靖国神社のあり方が「本当に日本の道」なのかと書いている。たしかに言えてる。西郷隆盛だって祀られていないし…。死んだら上も下も敵も味方もないはずなのに、合祀の際の区別が気になるところ。

それにしても靖国神社ってつくづく悲劇的な場所だと思う。靖国神社にとってどうなることが望ましいことなのか? 靖国神社が国の公的な施設になり、国事行為を行なうことができ、首相および天皇による参拝が公的に行なわれる事態なのだろうか? だとすれば、さすがにそれは現実的に不可能だ。さらにまた「日本軍国主義の象徴」としての性格を持っているかぎりにおいて、その願いはかなうことなく、いつまでも悲劇的な場所であり続ける。

ではどうすればよいか? 高橋さんは以下のように書いている。

一、政教分離を徹底することによって、「国家機関」としての靖国神社を名実ともに廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。
一、靖国神社の信教の自由を保障するのは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。それぞれの仕方で追悼したいという遺族の権利を自らの信教の自由の名の下に侵害することは許されない。

韓国や中国に言いなりで首相の参拝の有無を決めるのは我慢ならんとか、A級戦犯は連合国側の不当な裁判だからそもそも無効など、議論が先に進む前に激高してしまって「非国民め!」とか「日本人なら当然でしょ」みたいなところで急ブレーキがかかってしまうのが残念で仕方ない。

僕自身は、新しい追悼施設の建設などは少しも賛成できないので、合理的に考えると今の状態で放置するのが一番理に適っているようにも思える。その間に代替わりが進んで、靖国神社の「超宗教」的な在り方が緩和され、一つの歴史的な場所として人の心に残っていけばそれでいいと思うのだ。ちなみに、そういう事とは全然関係なく、靖国神社の鳥居と神門(本殿ではなく)のミニマルな感じが妙にカッコイイと思ってたりもするから不思議。

Posted by Syun Osawa at 01:16