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2006年04月18日

戦争と表象/美術 20世紀以後

2006年3月4日−5日/東京国立博物館平成館

戦争と表象/美術大学の先生や美術館の学芸員を対象とした戦争と美術に関するシンポジウム。誰でも参加できるとのことだったので、ちょこっとだけ参加。戦争画に関連して、河田明久さんや澤田佳三さんなどの発表を聞いた。小沢節子さんの「原爆体験と表象」や前日の水沢勉さんの「山口蓬春と戦争表現」なども聞きたかったが、こちらは時間の都合で断念。

河田明久さんの「戦時期日本のシンボリズム」は、戦前の日本において、ナショナリズムを喚起させるためのイメージ戦略として、実在の人物(天皇)ではなく「朝日」「富士山」「日本刀」「桜」などの身体性のない記号が用いられたというお話。この話は大塚英志さんによる手塚治虫話(手塚は記号の中に身体性を見つけたとかいうヤツ)にも連なる内容で面白かった。

澤田佳三さんの「目的芸術としての戦争美術とプロレタリア美術〜「昭和の美術」展を通して」もこれまた面白い内容。戦争美術とプロレタリア美術を同じ目的美術(プロパガンダのための芸術)として考えていて、それなんて僕が思ってるところとピッタリで勉強になった。「目的は対称的だが、用法は同じ」として、テーマ主義とリアリズムという同じ土俵の上に立っているからこそ激しく対立するのだという指摘はすんなり入ってくる。これに関しては、この後、図録を買ったりロシア・アヴァンギャルド関連本を読んで勉強中。

少し話はそれるが、戦争画関連の話題で登場しがちな「リアリズム」という言葉について。この言葉が「ロマン主義」の中に還元され、写実的な絵を描くことと同じ意味になり、「古風な技術」「尖端的でない」「作家が自分たちの表現形式を捨てている」と批判されることについてはちょっと複雑な気分。美少女が出てくるアニメを見ると一気に萌え語りに終始してしまう事態と何か似てる。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 23:33