bemod

2006年06月15日

プロパガンダ映画のたどった道

編=NHK取材班/1995年/角川書店/文庫

プロパガンダ映画のたどった道国策映画の前に傾向映画ブームという流れ。傾向映画とはプロレタリア映画みたいなもんで、しみったれた日常を社会的な視点で描く映画のことですな。

この本は無声映画からトーキー映画に移り変わる時期に、国策によるプロパガンダ映画の発展が重なっていることを軸にして書かれている。

トーキー映画を飛躍的に普及させた『ジャズシンガー』がユダヤ系の団体の出資によって作られていたり、ナチスドイツの国策映画会社ウーファが最初に手掛けたトーキー映画『朝やけ』の主演女優がユダヤ人だったりと、時代の皮肉めいたものを感じますね。

日本の方でもいろいろな動きがあったらしく。戦争の激化とともに映画の検閲が強化されてゆく。それを強力に推進した朝岡信夫さんが多摩美術大学の創立に深く関わっていたり、傾向映画(プロレタリア映画?)のブームの後にプロパガンダ映画のブームが来ることも興味深い。

あと、この時期の日本映画って年に400〜600本も作られてたらしい。2005年度の邦画の公開本数が376本(社団法人日本映画製作者連盟より)だから、映画が国民に与えていた影響ってきっと今よりも大きかったのかも。

翼賛的な流れに沿って映画法が成立し、映画検閲が強化されてゆくわけだが、当時の映画検閲には「映画を自由に作らせ、自己改革を待とう」という考え方と、「国家統制によって、映画を作りやすい環境を作ることでいい映画を作ろう」という考え方があって対立していたらしい。そして最終的に後半の考え方が主流になっていく。

検閲の強化は映画に限ったことではないが、この事態に対して各映画会社の経営者は「規制された」とは捉えずに「国の協力を得ることができ、いろいろ便利」もしくは「国策に参画するチャンスを与えられた」と捉えているところに、一番のフックがあった。それなんて、今の大手アニメスタジオに一発変換できるからだ。

もちろん、この時期の国策化の流れを今のアニメ業界にそのまま当てはめるのは野暮ってもので、そんなことを考えるつもりなど毛頭無いのであしからず。ただし、冒頭に書いた「傾向映画からプロパガンダ映画」への流れは、感情を軸にして考えると「セカイ系アニメからプロパガンダアニメ」への流れを妄想できなくもない。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:59