bemod

2006年12月28日

夢を与える(『文藝』2006年冬季号)

綿矢りさ/2006年/河出書房新社/A5

文藝 2006年冬季号綿矢りささんは、僕のように彼女をアイドル的な扱いにして消費しようとする読者を置き去りにしたかったのだろうか?

そういう匂いは読み始めてすぐに感じた。『SIGHT 30号』(ロッキング・オン)で斉藤美奈子さんと高橋源一郎さんがこの作品を支持していたが、あの気持ち悪さも僕のようなアイドル消費となんら変わらないんじゃないかとも思ったりする。

元アイドルオタクとしての妄言と断りつつ…アイドルの描き方について、ディティールが低過ぎて物足りない。『蹴りたい背中』では許せたことも今回はやり過ごすことができなかった。すぐに早稲田―広末涼子みたいなところが連想されてしまい、あわよくば自分か? とか。そうじゃないだろうと自分の中で打ち消す。それすらないのだ。何もない。

ただ、興味深いところが一つだけあった。タイトルである。

「夢を与える」という題材が僕の心をつかんだ。少し前に読んだ村上隆さんの『 芸術起業論 』では芸術とお金の関係を論じられており、「夢を与える」がとても下品な現実と表裏一体にあることを書いていくのかと思ったのだ。ただ、それも以下の文章で消えてしまった。

 夢を与えるとは、他人の夢であり続けることなのだ。だから夢を与える側は夢を見てはいけない。恋をして夢を見た私は初めて自分の人生をむさぼり、テレビの向こう側の人たちと十二年間繋ぎ続けてきた信頼の手を離してしまった。一度離したその手は、もう二度と戻ってこないだろう。

そっちかー。夕子が「夢を与える」という言葉にひっかかっていた前半にかなり期待感があり、その一点で読んでいたので腰砕けになってしまった。芸能人のビデオ流出についても加藤あいは今でも頑張っているし、パリス・ヒルトンは流出ビデオの印税をよこせと言うほどたくましい。そんな現実すら乗り越えていかない夕子。乗り越えていきませんからアイドルオタクは読まないで下さいという意思表示だろうか。

もうブルーハーツは未来永劫ないんですよというザ・クロマニヨンズの有り様に似た何ものかなのだろうか…。うーん。こういうの困ったな。

Posted by Syun Osawa at 00:32