bemod

2007年01月28日

近代美術事件簿

瀬木慎一/2004年/二玄社/四六

近代美術事件簿事件簿シリーズの第三弾。今回は日本の近代美術に焦点が当てられているので、でっかい話は少なく、誰と誰が喧嘩して誰と誰が団体をつくったいうマニアックな話が多かった。

洋画の黒田清輝、日本画の横山大観を中心にした明治から昭和にかけての画壇の権力闘争は相変わらず面白い。権力に対してむき出しな感情が暴力的でわかりやすい。近年になるほど画壇内の権力争いなどは高度化して、素人には見えなくなり、結果として権威も失われ、業界自体の活気が失われてゆく。何でもそうだが、新しいものが常に古いものを駆逐していかなければ新陳代謝は起こらないんだろうな。残念ながら。

近代美術のネタとしては第二次世界大戦時の話は切り離せない。なかでも戦争画ネタは書き手の思想がBTB溶液のごとくサッと色分けしてくれるので便利だ。瀬木さんの立ち居地は僕自身の感覚にも近く、内容的にも納得のいくものだった。藤田嗣治の戦争画に対する評価も厭戦的かどうかで判断していない。彼の作品自体はそれほど評価していない様子だが。

この本の中で一番勉強になったのは、1950年代以降の美術の話。一応美術に関連した事件は起こっているらしく、それなりに楽しく読んだものの、どれも些細な事件に映る。赤瀬川原平さんの偽札裁判にしたってマスコミが騒いでいるほど大きな事件には思えない。どちらかといえば、サルマーン・ルシュディー『悪魔の詩』の翻訳をした筑波大助教授・五十嵐一さんが殺害された事件などのほうが、読売アンデパンダン展時代に暴れていた人よりもよっぽど反骨って感じがするくらいで。

あとは、ゼロ年代について完全にスルーしてたのが惜しまれる。

椹木野衣さんの評論活動などは、瀬木さんが書いたような戦後美術の矮小化を一新するための新しい活動と捉えられている印象があるので、本の中でちょっと触れてほしかった(森村泰昌さんの名前は挙がっていたが)。というのも、日本のサブカルやオタク文化と接続したゼロ世代の現代美術家(村上隆、奈良美智、束芋など)は、旧弊した日本美術号の最終電車にギリギリ乗ったというイメージが消えないからだ。戦後日本が蓄えてきた「オタク」や「かわいい」を使った美術の消費こそが日本の戦後美術の歳末バーゲンセールなのだと僕は考えている。そして、そこから先が本当のゼロ世代なのだ思うのだ。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 20:49