bemod

2007年03月01日

批評の事情 − 不良のための論壇案内

永江朗/2004年/筑摩書房/文庫

批評の事情読まなきゃいいのに読んでいる。というのも、本屋で雑誌などをパラパラと立ち読みすると、自分の興味のあるネタに対して、たいていこの本に登場するような方々がコメントしていたり寄稿したりしているからだ。カルチャー誌に限らず、漫画やアニメの雑誌でもそうなのだ。

何かっつったら評論家と名乗る人が出てくるのだ。例えば経済が専門の教授にアニメ語らせるとか。しかもそれが面白ければいいのだが、これといって面白いわけでもない(ようするに普通)。本書はそういう90年代の評論家の有名どころを総ざらえした本で、なぜこの人はアニメを語るのか? みたいな事情について書かれている。とりあえず雰囲気くらいはつかむことはできたと思う。

不満もある。

評論家相互の関係を俯瞰していないからだ。あくまでも個々の評論家の人間像にじっくり迫っている。コンテクストよりテキストという掘り下げ方は左翼の活動家らしくていいが、批評の事情には、もう少し暴力的な迫り方がほしかった(不良のためなんだから)。もちろん、ポスト構造主義者による本であっても、俯瞰したあげく、結局は揶揄して終わりってのが多いのだろうけど…。

オタクに対する言及も曖昧だ。

「自分はオタクではない」ということと、「オタクはあまり好きではない」という本音の部分は一貫しているが、あとの部分は何だかフラフラしている。美少女ゲームと美少女アニメを羞恥心なく買い求める男性をオタクだと思っているのかと思えば、もう少し広い意味で捉えている節もある。例えばオタクの特徴として、

常に自己言及的であり、メタレベルでの発言との二重性を伴っている。しかもそれは「なんだよそれは。ヤマもオチも意味もないじゃん。くだらねえ」と言い訳する。それはおたくの防衛本能であると同時に、他人から否定されることを極端に恐れる過剰反応でもあり、自覚者の特権性を信じて疑わない傲慢さでもある。

と書いている。褒めているのかけなしているのかわからないが、とりあえずこのあたりは当たっている。少なくとも僕自身については当たっていると思うのだけど、同人誌『 美少女ゲームの臨界点+1 』を読むと、第三世代と呼ばれるオタクはこのもっと先にいっているかもしれない(「くだらねぇ」と言い訳しないという点で)。

あとエレクトロニカ系の電子音楽をもってきたり、ファッションに興味があることをもってオタクを相対化するのはやめてほしい。服好きなオタクも、エレクトロニカ好きのオタクもいるのだよ。悪いけど。

Posted by Syun Osawa at 22:45