bemod

2007年05月09日

靉光展

2007年3月30日−5月27日/東京国立近代美術館

靉光展靉光は第二次世界大戦のときに徴兵され戦後まもなく上海で死亡したことと、松本竣介や井上長三郎らと「新人画会」を結成したことから、「戦争犠牲美術家」や「抵抗の画家」と呼ばれることが多い。この言葉は戦争画を描かなかった靉光の作品に対する印象を歪曲させる恐れがある。『現代の眼 563号』(東京国立近代美術館)において、江川佳秀さんはそれらのレッテル貼りを批判されていた。

と、前置きするのは、僕も 戦争と芸術 に関する興味で見に行ったからだ。今回、シュールレアリスムの要素が色濃く出た《眼のある風景》以外の作品を見て、戦争を軸に見るのではなく、シュールレアリスムと線画を軸に見たほうがより深く作品を楽しむことができると感じた。

彼が活躍した時代は日本画と西洋画が折衷していた頃で、アヴァンギャルドが全体を覆う前。具象が様々なところで化学変化を起こしている時代ということもあって、靉光も線画と格闘した後がうかがえる。

中でもロウ画と呼ばれる手法で描かれた《乞食の音楽家》や《編み物をする女》(パンフレットの表紙にも使われている)などが気に入った。ざらついた質感がどこか日本の伝統的な文様を感じさせつつ、輪郭はシンプルで誇張されたものになっている。また、タイトルを失念したが馬のシルエットを描いた作品があって、その形がディズニーに登場する馬にそっくりだった。線画というと日本画との絡みで語られることが多いが、この時代の作家がマンガやアニメとどの程度関係があったのかについても興味がわき始めている。岡本一平の名を出すまでもなく画家が絵本作家や漫画家になっている少なくないし、手塚治虫が戦前にディズニーアニメを見ているということは他の人も見ているに違いなく、そうした点からも相互の影響は必ずあると思うのだがどうなのだろうか。

あと関係ないが、彼の自画像は驚くほど僕に似ており、あまりに似ているものだから帰りにポストカードを買ってしまった。他人の空似は本当にあるのだなぁ。

常設展にも初見の作品がポツポツとあった。

プロレタリアートでは、内田巌《歌声よ起これ(文化を守る人々)》(1948年)、石垣栄太郎《リンチ》(1931年)、戦争画では藤田嗣治《南昌飛行場の焼打》(1938−39年)、白石隆一《入城前》(1944年)など。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:16