bemod

2007年07月17日

天皇=科学=自費出版=パクり?=無料公開

気になる科学ネタ で、今上天皇がロンドンで講演された「 リンネと日本の分類学 」の要約がネイチャーに掲載されたことを知った。また、1992年にもサイエンスに論文が掲載されている。これって凄いことだと思う。

昭和天皇もヒドロ虫類の研究をしていたし、秋篠宮はナマズの研究で有名だ。彼らはバリバリの理系なのだ。ここで先の ニセ科学フォーラム のイデオロギーについて考える。バリバリの理系であり、科学者であるということは、自分が神であるなどと思うはずがなく、良くも悪くも客観的な事実から物事を判断している人たちなのではないかと想像してしまう。

共産党の志位書記長が東大物理工学科卒であることもあわせて、いろいろと思いがよぎる。そして最後に浮かぶのは決まってこの疑問だ。

では一体、誰が踊ったのか?

誰が踊らせているかよりも、誰が踊っているのかが気になる今日この頃。

(手に入れた本など)
ブックレット『国立ロシア美術館展』(産経新聞社)
安西育郎『科学と非科学の間』(筑摩書房)
長山靖生編『海野十三 戦争小説傑作集』(中央公論社)
芳沢光雄『算数・数学が得意になる本』(講談社)
横山傳四郎『数字の詩』(葛飾書房)

フリーペーパー類では『GRAPHICATION No.151』(富士ゼロックス)、いつの間にかリニューアルして季刊になっていた『WB』(早稲田文学)、『scripta no.4』(紀伊國屋書店)、『熱風』(スタジオジブリ)など。

誰も本を殺しはしない

『scripta』では相変わらず上野嬢が残念な吼え方をされているが、それはさておき今回は都築響一さんの自費出版ネタが良かった。佐野眞一さんの『誰が本を殺すのか』以降、というよりも文芸社と新風社の共同出版批判以降、自費出版には常にネガティブなイメージがつきまとっていた。そして、それを誰も払拭しようとはしない。

市民系ニュースサイトでは連日のように新風舎叩きが行われ(大半がまっとうな批判である)、中には「本屋に行っても自分の本がないのは営業活動が足りないからだ」などという若干お門違いな批判まで出てくる始末だ。もちろん共同出版社側がそのように言っているのなら仕方ないが、一般書の流通部数は基本的に取次の窓口が決める。1000部をトーハンに依頼したからといって、そのまま1000部取り次いでくれるわけではない。売れないものなら当然、取次ぎされないことだってある。それ以外は書店と直で棚の契約でもしていない限りほとんど置かれることはない。当たり前の話である。

それでも、僕は自費出版に肯定的だ。その理由を都築響一さんが明快に書いておられた。

「丸山眞男」をひっぱたきたい

『論座』で話題になっていた原稿を 赤木智弘さん が公開された。ついでに 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」 も。どうせなら新たに原稿を追加して、文学フリマとかコミケで売ればよかったのに。無料で公開するにはもったいない代物だと思う。

竹熊さん、そのネタって…

竹熊さんご自身が連載されている宣伝誌で、内田某さんがそのような内容のエッセイを書かれていたように記憶していますけど…。まぁ、読者層が違いますからね。

本をブックオフに売らせないための習慣として

斎藤孝さんが三色ボールペンを使うのは,ブックオフに自著を売られないための戦略である。買った本に積極的に書き込みをさせることを国語の授業で行う。出版社も推進する(鉛筆を付録でつけたり…)。そういう習慣づけが本読みの習慣を新たなステージへ向かわせるかもしれない。

ところで…

世間は歴史歴史とうるさいが、学校で習うものなどすべて歴史じゃないか。数学の歴史、理科の歴史、国語の歴史。美術はどうだ? ん? 現代美術は一つのカテゴリなのか? 現代の美術だから現代美術なのか? ということは、いずれは現代美術と呼ばれなくなるということか? よくわからん名前だ。

Posted by Syun Osawa at 00:54