bemod

2007年11月29日

美術と文化 〜人に与えるアートの力〜

2007年11月23日/国立新美術館 講堂

美術と文化第5回国際文化フォーラムの一環として開催されたトークイベント。高階秀爾、クリスチャン・ボルタンスキー(仏)、やなぎみわ、ベ・ビョンウ(韓)、チェッコ・ボナノッテ(伊)、建畠晢という豪華なラインナップ。しかも全員に対して同時通訳付。第4回 世界映画人会議 2 もそうだったのだが、国が絡んだイベントは無駄に金が掛かってる。ありがとう日本。

アーティスト3人に美術館関係者2人というラインナップ。ボルタンスキーさんはアーティストは孤独な言葉を持ちつつ、問題を提起し、その問題を次の世代へ継承していくことを芸術家の役割だと話し、『エレベーターガール』でお馴染みのやなぎさんは自分の作品を紹介しながら、他者と価値の共有をはかりたいというような話をされていた。2人ともコンセプチュアルな作品を得意としているので話もなかなか示唆的だ。

一方、モダニストを自認するビョンウさんはベーシックな写真の中に新しさを求めることにためらいがない。彫刻家のボナノッテさんは毎日日の出前に起き、5人の子どもと7匹の猫に囲まれて楽しい毎日を送っているとのこと。

今回のトークテーマが「美術と文化」と漠然としたものだったので、話の向かう先もいろいろ。噛み合っているような、噛み合っていないような、でもなんとなく意味ありげな内容のフォーラムとして成立していた。わけはわからないが、何となく感動すること。それが直接的であること。少なくともこのイベントにはそれがあったし、その重要性についてはボルタンスキーさんも話されていた。

さて、問題はあとの2人の立ち位置の難しさだ。美術館関係者という意味ではなく、著名な2人の批評家、またはキュレーターとしての2人の存在は、はたして今後も美術と文化に寄与するのかという問題である。仲俣暁生さんが ブログで愚痴っている ように、21世紀に追い詰められているのは、実はアーティストではなく批評家だった? みたいな話になったり、ならなかったり。

もう一度アーティストの側に目を向ける。やなぎみわさんの近作かは村上隆さんのように自分で自分をプレゼンスすることの重要性を導き出しているように映る。それが他者との…につながるのかもしれないが、高速で消費される芸術に対しては、冷静な態度を持って臨む必要があるというニュアンスの話もされていた。なぜなら「商品化によって、自分の価値を誤解して見出してしまう」という危険性があるからだ。

僕の希望としては、芸術家はあくまでも社会における他者であり、孤独な存在であってほしいし、常に「新たな価値を創造すること」を芸術における創作活動であると捉えていて欲しい。

Posted by Syun Osawa at 00:10