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2008年01月12日

国語教科書の思想

石原千秋/2005年/筑摩書房/新書

国語教科書の思想国語の教科書は、道徳を教えるという思想を抱えている。しかし、その思想は一面的なものである。グローバル化の進む世界で生きていく力を身につけるために、国語をリテラシーと文学に解体するべきである。…というのが本書の主張のようだ。

著者は国語が道徳教材として扱われるのが嫌らしい。たしかにそうだな。そこはちょっと納得できる。特にリテラシーはニセ科学に対する取り組みでも重要性が高まっており、正しい知識を身につけるために必要な教科といえるかもしれない。さらに、国語は擬人化する話がとても多いので、理科離れが進む昨今にあっては、リテラシーの立ち上げは急務ともいえる。

文学のほうは多様なものを多様なまま受け止めよということなので、今の学校制度の中で上手く機能するかといわれればちょっとわからない。

一方で、世間的には道徳の重要性を説く声は高まっているようにも感じる。もしも国語という科目に再編成の機会が訪れるとすれば、リテラシーと文学ではなく修身と言語に再編される可能性だってあるだろう。このあたりの左右の足の引っ張り合いはすぐにはなくならないと思うし…。

この本ではリテラシーは倫理とニュアンスが近い意味で使用されており、倫理は道徳と区別されている。

道徳とは「内輪でしか通用しない正しさ」であり、倫理は「わかり合えない他者との間で交わされる配慮」のことであるとしている。

さて、この本ではPISAの「読解力」試験などについても言及している。ここいう読解力というのは、宮本哲也さんが『 超教育論 』で紹介されていたように正しく文章を読み取る力のことである。今の子どもはこの力が不足しているそうな。そして、この問題を解決するためには、流行の暗記型詰め込み授業を進めるよりもじっくり論理的思考を高める授業をしなければならない。こちらは時間がかかり、即効性も薄いため取り組むのはそう簡単ではない。

Posted by Syun Osawa at 08:58