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2008年02月09日

アメリカ美術と国吉康雄 ― 開拓者の軌跡

山口泰二/2004年/NHK出版/四六変型

アメリカ美術と国吉康雄僕は国吉康雄を藤田嗣治経由で知った。藤田嗣治が戦後、アメリカで展覧会を開こうとしたときに、ベン・シャーン(だったかな?)と二人で開催を阻止したという逸話があったからだ。

国吉康雄がアメリカで成功した画家であることも知っていたが、藤田が成功したフランスと比べると、当時のアメリカは二番手という印象があったためそれほど気にはしなかった。プロレタリア系の作家が戦後の日本の美術界と同様に騒いだのだろうというくらいの認識だったのだ。

今回、この本を読んだことで、その印象は大きく変わった。フランスの藤田とアメリカの国吉は並列で語られるべき存在なのだ。事実、藤田は国吉の力を高く認めており、アメリカで活躍していた国吉をフランスに呼び寄せたのも藤田だったらしい。藤田は日本で美術学校を卒業し、日本の芸術を身体に取り入れ、それをフランスで捨てて自分の芸術を確立したのに対して、国吉は日本の芸術を取り入れることなく、ダイレクトにアメリカの芸術を通して自分の芸術を確立した。この違いはとても大きい。だから、単純に海外で成功した二人の芸術家という捕らえ方だけではすまないのだろうと思う。藤田はフランスで日本画のエッセンスを取り入れているが、国吉は日本的なものを取り入れていない。

また、国吉が通った美術学校アート・スチューデンツ・リーグには清水登之も通っていたらしい。国吉はアメリカにとどまりアメリカ側からプロパガンダポスターを制作した(1枚だけだが)。逆に清水は日本に戻って日本側の従軍画家として戦争記録画を描くことになるのだ。こうした状況を重ね合わせると、芸術は戦争とは無関係ではいられないことがわかる。

国吉は組合活動などを積極的に行ったために、共産主義者としてのレッテルを貼られ、多くの批判に晒されてきた。彼はそのことをよく自覚しており、マルクス主義からは意識的に距離を置いていた。松本俊介のような立ち位置なのかもしれない。僕はこの立ち居地がとても好きだ。というのも、マルクス主義も社会主義の社会も必要性を感じないが、組合は必要だと感じるからだ。日本では組合=左翼=社会党&共産党といったイメージに陥りやすく、現実にそうだからなのだが、そういう印象を持たれる可能性を丁寧に排除して、自由な一人の芸術家として確固たる地位を築き上げたこと、しかもそれをアメリカ国籍を持たずに成し遂げたことは素晴らしいと思う。

ところで、日本では一時期、戦争記録画を扱うことがタブーとされていた事があったそうなのだが、国民の戦意高揚を促した事の反省としてタブーとされたのならば、それはちょっと変な気がする。というのも、ドイツのナチ公認だった大ドイツ展も含め、これらの絵画に内在する思想そのものを批判することと、戦意高揚を促すことを意図して描いたという描画形式を批判することは違うからだ。前者は勝者の論理でしかないし、後者はアメリカで描かれたファシストを批判したポスターや志願兵募集のポスターのほうがよほど下品で、プロパガンダとしての技術が多く使われており、芸術とは遠く離れている印象があるからだ。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 11:51