2008年11月20日
若手批評家サミット2008
2008年10月12日/14:00−15:30/三省堂書店本店
宇野常寛さん、荻上チキさん、濱野智史さんによるトークイベント。
宇野さんが各論と総論の話を「大きな物語の喪失と島宇宙化した世界における決断主義の克服」という軸で以前から議論を展開されているのは知っていたので、そのあたりの話はなるほどと思って聞いていた。世代が近いからかもしれないか、雰囲気的には納得できる話が多い。
ただ、ウェブコミュニティの話はmixiもほとんど使っておらず、はてな民でもない僕には少し敷居が高かった。特に「酸っぱい葡萄」の話(非モテ論壇の話)は特定の誰かを対象にしているように聞こえたが、上手く想像できなかった。
あと、リテラシーの話も少し出ていた。島宇宙がそれぞれの価値観を持って回っているとすれば、それらがぶつかり合う状況は避けられないように思える。そこで必要になるのがリテラシーという考え方なのだろう。たしかに、石原千秋さんが『 国語教科書の思想 』で書いていたように、島宇宙の中でしか通じない道徳よりもリテラシーのほうが、これからの時代は重要な役割を果たすと思う。これについては、リテラシーを倫理に置き換えれば、石原千秋さんの言葉がわかりやすい。
道徳とは「内輪でしか通用しない正しさ」であり、倫理は「わかり合えない他者との間で交わされる配慮」のことであるとしている。
個人的にはゼロ年代の評論というのは、最後尾に新人類を乗せた昭和の最終列車が去った後、東浩紀は駅員に乗り遅れたことを逆切れし、その下の世代は「もはや何もない」と今ここにある状況を言っているだけのような気もしている。つまり、まだ次の電車には誰も乗っていないのだ。
僕にはゼロ年代の評論というものについてまったくと言っていいほど知識がなく、また想像力もない。今回のイベントを通して、少なくとも新しい想像力を持った一群が動き始めているような印象だけは受けたので、ひとまず宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』を読むことから少しずつ理解を深めていこうと思う。
Posted by Syun Osawa at 07:32