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2009年01月26日

新人画会展 ― 戦時下の画家たち

2008年11月22日−2009年1月12日/板橋区立美術館

新人画会展 戦時下の画家たち新人画会というのは、1943年に靉光(あいみつ)、井上長三郎、鶴岡政男、松本竣介ら計8人の画家によって結成されたグループ。ただし、グループとしての活動は資生堂ギャラリーで展覧会を数度開いただけだったらしい。今回の展覧会は当時の展覧会を再現する形で開かれていた。

戦前にこの展覧会が開かれたとき、大政翼賛的なムードもあって、多くの洋画家たちが具象画の系譜で戦争画を描いていた。それに対して、新人画会は戦争とはまったく関係のない絵を描き、展覧会を開いたことから、今では戦前に自由と戦争への抵抗の意思を示した数少ない活動として取り上げられることが多いようだ。新人画会に集まった8人のうち6人は美術文化協会に所属(井上と松本だけが別の団体に所属)しており、美術文化協会の集まりには必ず軍人が出席することになっていたらしい。そういう事情も上記のような抵抗のイメージがついた理由かもしれない。

その一方で、彼らが開いた展覧会はイデオロギーが前面に押し出されたものではなかったとする意見も多く述べられている。実際このグループの何人かは画家たちは後に従軍画家として戦争画を描いている。

今回は観た作品は、それぞれの作品の持っているベクトルがバラバラで、自由に描きたいという思いが溢れている。ただし、ベクトルの進行方向はバラバラでも出発点は意外に近い印象を受ける。その点について、嫌な見方をする人ならば、戦争から離れたいというスタンスが強く意識されすぎて、そうであるがゆえに戦争を意識した作品になっていると言うかもしれない。しかし、彼らの思いはもっと単純で、画家として名を上げたいということだったんだろうと思う。それは洋画家たちの多くが戦争画に自分達の存在意義を見つけたのとも少し似ている。

そうした戦争への意識といった部分を考えると、井上長三郎と松本竣介の絵はわりあい見通しがよい。

井上長三郎の代表作の一つである《漂流》は戦争から距離をとったものではなく、だからと言ってリアリズムの戦争画のような単純な志向もない。戦争に対する高揚後にあらわれ始めた疲弊感と厭戦の気分というような時代の空気を上手く捉えた作品だった。実物は予想以上に大きくて、写真で見るよりも全然迫力があった。

松本竣介はアンリ・ルソーの作品を模したような《立てる画家》の絵が有名。だからと言って、それらの絵の中に表現される作者の意思みたいなものが創作の主軸かといえばそうではなく、それ以上に技法(マチエール)に対してかなり気を配っている様子が伺える。彼が美術雑誌で明確に戦争画に対して疑問を呈したのは、戦争反対の意思という以上に、リアリズム絵画に流されて技法の探求をやめてしまった洋画家たちに対しての憤りがあったからかもしれない。

ところで、今回は松本莞(松本竣介ご長男)さんによる「新人画会の時代と松本竣介」という講演があったので参加した。

松本莞さんの話によると、新人画会が開かれた 資生堂ギャラリー では、1943年だけでもおよそ80本もの展覧会が開催されていたらしい。戦前の日本での日常生活って、僕世代にはあまりにもかけ離れすぎているため想像することすら難しいが、毎日が陰鬱というだけでもなかったようだ。不安の大きさは今とは比べ物にならないだろうが、それなりに文化的なことも行われていたのだろう。

松本竣介のプライベートな話としては、彼は生前はほとんど絵が売れなかったらしい(今ではほとんどが売れている)。当然、彼がどうやって生活していたのかという疑問が湧く。彼は定職に着かずにアトリエでずっと絵を描いていた。ようするに金持ちだったわけだ。当時の部屋の写真を見ると立派なアトリエだった。やっぱり芸術家っていうのは、金持ちか金持ちに見出された人がなるべきなんだろうね。

こういう生活環境の中で生きていた彼の状況を踏まえると、彼が雑誌『みづゑ』 に書いた「生きてゐる画家」というエッセイには、僕がこれまでに感じていたものとは違った感情が芽生える。そして、積極的に戦争画を描いた貧しい洋画家たちとの対比を考えると、当時の戦争に対するイデオロギーの問題とは違ったレイヤーで、別の問題を投げかけているようにも思った。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:20