bemod

2009年07月20日

日本のシュルレアリスム展

2009年5月16日−6月28日/板橋区立美術館

日本のシュルレアリスム展僕はダリがあまり好きではないので、シュルレアリスム=ダリみたいな連想をしてしまうと、少し興味が薄れてしまう。むしろ超現実主義と日本語で訳された言葉をそのまま受け止めたい。そうすると今回展示されていた戦前のシュルレアリスム運動は当時の空気を過剰に反映しているのではないかという期待感が膨らんでくる。

ただ、その期待はちょっとだけ裏切られる。1939年に美術評論家の瀧口修造による書かれた文章が掲示されていたからだ。そこには、当時西洋から輸入されたイズム同様に、模倣を免れることはできず、シュルレアリスムの思想以前の限界性が最初からあったというような内容が書かれていた。絵を見ると、たしかにそういう絵が多い。

中でも典型的なパターンが2つあって、一つは超空間的なもの。重力も距離関係も存在しないような空間に、現実に存在する対象がゆがめられた形で意味ありげに配置されている。もう一つは現実空間に変化を加えたもの。絶対にあるはずのない場所にそれがあるというような、いわゆる日本語で言うところのシュールな画面が展開されているものである。これらの絵には、時計、巨大な皿に盛り付けられた人の顔、砂漠、地平線などが描かれており、西洋のシュルレアリスム作品からの影響というよりはそのまま模倣してしまっているようなものも少なくなかった。

日本のシュルレアリスム運動は戦後にかなり大きな運動になったようだが、戦前は福沢一郎らが特高にあっさり逮捕されるなどしたため、当時の空気を作品に反映させることは難しかったのかもしれない。

ただし、気になる作品もいくつかあった。

難波香久三《蒋介石よ何処へ行く》(1939年)、《地方行政官A氏の像》(1938年)は個人の素朴的な視点から社会を見たときに感じる疑問などを絵にしているように見える。解説には社会問題について一番強いメッセージを出していると書かれているが、社会風刺へのアプローチが妙に今っぽい気がした。

戦争と芸術 の関連では、浜松小源太《世紀の系図》(1938年)が凄くよかった。38年当時にボロボロに敗れた日章旗とハーケンクロイツを描いている。元々教師をしていた人らしく、軍属としてビルマで死亡したらしい。ただ、ここまでくるとシュルレアリスムというよりは、プロパガンダ絵画的な雰囲気が強くなりすぎて、少なくともシュールとは言えないかも…。

じゃあ、戦前の日本のシュルレアリスム的作品とは何なのだ? と思ってしまうわけだが、シュルレアリストの小牧源太郎は「私のシュルレアリスムNo.1」『みづゑ 第772号』(1969年5月)において…

私ははたしてシュルレアリストであるのか、どうかは私にとっては問題ではないということである。私は私にとって私であればよいのであって、そのほかの何物でもないのである。

と書いている。そうなると僕にはわからない。とりあえず、パンフレットには「自己の内面を描いたヒューマニズムに満ちた作品」と書かれているので、まぁそういうことなのかと納得しつつも、「自己の内面が社会をどのように映しているか?」という問いにレバレッジをかけて、過剰な現実世界を映し出しているのがシュルレアリスムの一側面だと妄想すれば、当時の壮絶な時代の空気がさらに過剰に反映されていなければならないという期待感はやっぱり裏切られたのである。

ちなみに、シュルレアリスム運動の関連資料として日本アヴァンギャルド美術家クラブの案内文が公開されていて、そこに「東中野モナミにて発会」と書かれていた。住所は「中野区住吉町58」となっている。近所じゃないか…。

あと、戦争記録画を描く前の小川原脩さんの作品もいくつか展示されおり、彼がその後たどった道を考えながらそれらの絵を眺めていた。おそらく展示されていたシュルレアリスムの絵とその後の戦争画、素朴な絵画との対比から読み取れるものがきっとあるはずなんだろうけど…僕にそれを読み取ることははまだちょっと難しかったようだ。

Posted by Syun Osawa at 01:50