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2009年09月27日

単純な脳、複雑な「私」

池谷裕二/2009年/朝日出版社/四六

単純な脳、複雑な「私」何やら流行っているらしい。脳科学。

脳研究の第一線で活躍する科学者が、高校生へ向けて脳について書いた本。本来なら難しいはずの科学本なのに、学生との対話形式だったためにわかりやすく、サクッと読み終えることができた。とても読みやすい。そして面白い。この本を読んで俄然「わかった気持ち」になっているということは、教材的な導入本としても上手く機能しているということなんだろう。

最も基本的なところから僕の脳のイメージは覆された。例えば、僕が物を取るという行為について、脳が「何かを取ろう」と考えてから、その指令が手に伝わって手が動くのではなく、手が動いている状態を脳が感知して「何かを取ろう」と後付けでその行動に意味を与えているのだ。そして、脳より先立つ行動というのは、すべて経験や遺伝に基づいているそうな。だとすると、文字を書くという行為はどうなっているんだろう? 環境に依存した動きだったら、その説明でなるほど…と納得できるのだが、パソコンの前でキーボードを売っているときの僕は、手が勝手に動いている状況を脳が後付けで説明しているだけなのだろうか。そんな風に考えるとわけがわからなくなる。

脳のリカージョンの話も面白い。これなどは昨今の再帰性の話とアナロジーで結んで何やらしたい誘惑に駆られるほど魅力的なもので、繰り返すことで経験値を上げていくというところに生命の躍動感を感じる。しかも可塑性があるから、ただのループではなく、必ず参照される経験は人によってバラバラである。だから当然、一人として同じ人間などいるはずが無い。逆に言うと、みんな画一的な生活をすればするほど、考えが似ていくのもまた当然と言えるのかもしれないが…。

そんなわけだから、脳は脳だけで成り立っているのではなく、身体の経験を伴って初めて脳は脳としての機能を果たしているようだ。とすると、押井守が『 イノセンス 』で展開した「電脳空間と〈私〉の所在」という問題は、SF的な意味でも過去のものになってしまったと言えるだろう。その一方で、先日読んだ京極夏彦『魍魎の匣』では、脳と身体について、この本の内容と近い考え方を展開しており、ミステリー作家の視野の広さにちょっと感心した。

Posted by Syun Osawa at 00:10