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イノセンスはジジイのたわごとなのか?

イノセンス

 どういうタイミングで劇場公開しとるんじゃ? などのツッコミもどこ吹く風、マイペースに俺道を歩き続ける押井守監督の『イノセンス』を鑑賞。

 結論からいうと、この人は何も変わってない。『 うる星やつら 2 〜ビューティフル・ドリーマー 』の頃から、ただひたすらに虚無の世界をグルグル廻り続けている。もちろん一周まわって元の位置に戻るのでなく、螺旋階段のようにテクノロジーの所作としては上へ上へのぼっていながら、行き着く先はエッシャーの騙し絵のごとく何故か元の位置に。この10年で彼が一番変わったことは、やたらと説教臭くなったということだろうか(これは宮崎駿もか…)。

 本作品では本来主人公であるはずの素子の形すら存在しない。それどころか、サイバースペース(電脳空間)と現実社会、オリジナルとコピー、生身としての人間とロボットの線引きすらなされない。素子が登場しないのは前回からの流れなので仕方ないが、仮想空間の現実社会とのボーダレスな描かれ方は、かつての『 幻魔大戦 』を彷彿とさせる危うい雰囲気を放っていた(宗教的、カルト的という意味で)。もはやこれをエンターテイメント作品とは呼べないだろうなぁ。

 大塚英志は『サブカルチャー文学論』の中で謎本を誘発する作家として村上春樹を紹介している。ザックリ説明すると、よーするにクイックジャパン元編集長がブチ当てた『磯野家の謎』的謎本を誘発する作家というのは、トイレが部屋のどの位置にあるのかというような細部まで実は深く考えていないというわけだ。翻ってアニメ業界に目をやるとき、多くのトリックでファンを魅了しながらも、実は本人、それほど深く考えてないという意味において押井守は謎本を誘発するアニメ監督ということができるだろう。押井本人もあるインタビューの中で、
「一度観てすべてを理解されてはたまらない」
 と語っているように、物語の随所に多くの謎(もしくは罠)が仕込まれている。押井ファンはその謎解きに夢中になる。彼の作り出す台詞、空間、プロットなど、すべてに意味があり答えがあると疑わない。だけど僕はその謎解きゲームには参加する気にはなれない。それどころか、トリックのいっぱい詰まった会話劇の中で「つまり」「つまり」と多くの登場人物が本音の扉を開きながら、いつまでたってもその核心に至らない様と、「何が言いたいのかわからない」という疑問に対して「別に何も言いたくないし」と臆面なく返す様にイライラするのだ。

 結局彼は、80年代に強く意識していた大量消費社会としての都市論を、90年代においてはデータベースとしての都市論に居場所を変えただけで、今も昔も「空しさ」だけを残している。

 マイナスイメージな駄文をダラダラと連ねたが、僕は押井守が嫌いなわけではない。むしろ大好きだといっていい。なぜなら押井には押井の世界があり、しかもそれは商業主義との戦の中で勝ちとった世界であるからだ。特に『劇場版パトレイバー』と『 御先祖様万々歳 』は当時中学生だったぼくにとって衝撃的な作品であった。ぼくはこの2作品の幻影を追いかけながら、これからも押井作品を観続けていきたいと思う。

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Composed by Syun Osawa since 10.1997