bemod

2009年10月18日

ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション

監督:ライアン・ラーキン ほか/1965年−2008年
/カナダ/アニメ/ライズX

ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション小さい映画館とはいえ、超満員だった。

ロシア革命アニメーション 』のトークイベントで味を占めて、今回も黒坂圭太氏のトークイベントがセットになっている回を観に行ったのだが、すでにチケットは売り切れていた。UPLINK Xと違ってチケットの売れ方はかなり早いらしい。

仕方なく、一週間後の同じ時間のチケットを予約したら、こちらの回はやくしまるえつこ(相対性理論)さんのライブがセットになっていた。各所で話題の相対性理論に遭遇できてちょっと感激。ただし、ライブは即興のギターと朗読のコラボだったこともあって、僕にはちょっと敷居が高めだった。なるほど、ボーカルの人はこういう感じなんだねw

今回の映画は、短編映画やドキュメンタリーをつなぎ合わせたもので、正確には映画というよりはオムニバスといったほうが正確だろうか。冒頭のクリス・ランドレス監督『ライアン』というCGの短編アニメは、第77回アカデミー賞・短編アニメーション賞を受賞した作品で、僕はネットやアニフェスなどで5回くらい観ている。

ストーリーはCGの世界の中で監督がライアンと対話するという偽ドキュメンタリー風。その哲学っぽさに惹かれつつも、以前はこの映画のよさがあまりわからなかった。今回、ライアン・ラーキン本人に焦点を当てたドキュメンタリーや、彼の手がけた作品を合わせて観た事で、ようやく『ライアン』の中で監督がライアンに語りかけていたことの意味がつかめたような気がした。

ライアン本人は、まわりの支えもあって35年ぶりに路上生活からアニメの世界へと復帰し、作品を作り始めた。しかし、製作途中で他界したために、その作品は他のクリエイターの助けを借りてようやく完成。今回、その作品も上映されたのだが、僕はそれを観て「現実は残酷だな」と思った。この残酷さは二重の意味での残酷さである。

35年間路上生活を続けていた人間が、以前と同じ輝きを一瞬にして取り戻せるわけがない。それは残酷なものだ。しかし、だからこそ僕は彼が苦悩し続けていた創作への思いと時間がもたらした残酷さをダイレクトに提示してほしかったし、その中にこそ彼の創作の内なるものが見えるのではないかと思ったのだ。

ところが、Boards of Canadaの曲が使用されたりして、そこそこ観れる形に演出されていたものだから、35年ぶりにしては「案外良い出来」加減が逆に彼の35年間を覆い隠してしまっている気がして、僕は残酷だと思ったのだ。つまり、残酷さを提示しなかった残酷さである。

Posted by Syun Osawa at 01:23