bemod

2009年11月01日

ニコ生の行方? ― マスとパーソナルの間で

いつものごとく、無駄話。別名を暇つぶしともいう。

『社会は存在しない』のイベントの感想文 あたりから、イメージ図をつくるのにハマっていて、最近少し気になった由無し事を図にしてみた。

【図】メディア・コミュニケーションの現在

左右は単方向と双方向の度合い、縦軸はリアルタイム(生放送だけでなく、同時間的という意味も含む)と、オンデマンド(いつでも見たいときに見れる)を表している。で、その真ん中くらいにあるスティッカムとかニコニコ生放送で、人気のある配信者がアンチの叩きにあって引退する…という流れが繰り返されているので、そのあたりのメディアの話でもしようかなと。今も相変わらず引退ラッシュが続いているし、特にスティッカムはニコ生への流出もあってか、「エンターテイメント」のタグに括れるような配信が減ってしまって、僕は寂しいのだw

で、上の図。

ようするに、ニコ生などのメディア(リアルタイムで、マスとパーソナルの間にあるメディア)は、テレビのように見る人と、出会いを目的に見る人の2タイプの人間によって、両側から挟み撃ちにする形で受容されているのだ。そして今は、パーソナルな側から受容している人が多くなっているように思える。喧嘩凸が持ち味のとあるピアキャスト配信者が、こうしたニコ生の現状を見て「どの配信者も出会い厨ばっかりだ」と嘆いていたが、この流れはどうやら避けられそうになさそうだ。

僕はニコ生やスティッカムの持つ両義的なオルタナティブ状況が好きで、しかもテレビの視聴者としての立場からこうした新興メディアを見ていた。例えばスティッカムを例に挙げると、今年の前半くらいまでは、テレビ的に楽しむ視聴者と、視聴者を意識した配信者とがカオスなエンターテイメントを演出していた。それが警察沙汰などいろいろなことがあり、次第にパーソナルな側面を強め、エンターテイメントの領域が左側へと押し戻されてしまった。上の図を見れば、もともとスティッカムはYahoo!チャット同様にパーソナルな側面が強いし、わいわいチャットなどのサービスが併設されていることも含めて考えれば、浅田彰的な投瓶通信よりも、もう少し個と個が向き合えるような通信を、多くの人が望んでいたということなのだろう。

しかしながら一時は、まさに海流の潮目というか、マスともパーソナルとも言えないような不思議な空間がそこにあり、配信者と視聴者が一体となってキ○ガイ的な熱狂をみせていたことも事実である。僕はその空間に、新しい世界を見つけ、テレビより面白いエンターテイメントを楽しんでいた。十年前とほとんどキャストが変わらないテレビよりも、目まぐるしく主役が入れ替わり、毎晩のように神配信者が生まれるスティッカムやニコ生のほうが一瞬のポテンシャルははるかに優れていたからだ。この新陳代謝の良さが、こうしたメディアの最大の魅力であったと思う。

ただ残念ながら、このオルタナティブ空間も、今、もの凄い勢いで制度化が進んでいる。ニコ生はまだギリギリ活気を保っているが、このたびのニコニコ動画のサービス改訂がコミュニティ重視のものであることからわかるように、ニコニコ生放送もパーソナルメディアとしての意味づけを拡大し、スティッカムと同じ運命を辿ろうとしている。

その遠因となったのが2ちゃんを中心に暴れているアンチの存在であろう。美人配信者や面白い配信者をひたすら罵倒し続けるようなアンチの存在が、そうしたオルタナティブ空間を急速にパーソナルメディアとして制度化させていることに、気づくべきである。なぜならアンチは、テレビ側から受容している人間なのであり、エンターテイメントを楽しんでいる人間のはずだからだ。そして、こうした制度化の結果、排除されるのは自分たち自身なのだ(もちろん、主役の入れ替わりという新陳代謝を促すためには、アンチ的な存在が意味がないとは思わないし、そもそもアンチ=嫉妬厨ならこの話自体成り立たないがw)。

もう一度、図に戻る。そして話もちょっと変わる。

図を見ると、マスとパーソナルの間を埋めるような新しいメディアが続々と登場し、気づけばメディア・コミュニケーションの空間はある程度埋め尽くされてしまったように思える。この図は僕が1時間で適当に描いたものなので、根拠も何もあったものではないが、近からずも遠からずというところだろう。こうした状況で、この空間にまだオルタナティブが残っているとしたら、右下の青い矢印で示した場所ではないだろうか。

オンデマンド放送であり、しかも双方向のコミュニケーションが可能なメディア。それは恐らく、Twitterの映像版のようなものではないかと予想する。Youtubeにも一部にそういう機能(投稿動画に投稿動画で変身ができる機能)があるが、ウェブ上級者が使っているのみで、一般化しているとは言い難い。おそらくこの場所がまだ開いている空間だとは思うのだが、この空間はそもそも限りなくパーソナルな場所であり、マス型のエンターテイメントを楽しむ場所には適していない。つまり、僕が求めていたマス的なエンターテイメントの新世界はもう無いかもしれないのである。

図に描いて考えるって、なかなか楽しいなw

Posted by Syun Osawa at 01:59