bemod

2009年08月23日

『社会は存在しない』刊行記念イベント

2009年8月2日/17:30−19:20/青山ブックセンター 渋谷店

『社会は存在しない』発売記念イベント他のイベントに行く目的で渋谷に行ったら、いいタイミングでやっていたので、飛び込みで参加した。だから、この本に対する知識はゼロ。おそらくかつて隆盛を極めた「セカイ系」のまとめ本か何かだろうと思って、しかもそのトークイベントなら、まとめ本をさらにまとめてくれるに違いないと甘いことを考えたわけだ。

出演者は、佐々木敦氏、蔓葉信博氏、渡邉大輔氏、山田和正氏の4人。

当時も今も変わらないのは、結局「セカイ系って何?」という問いが僕の中で全然クリアになっていないことだ。僕の場合、セカイ系って要するに『エヴァ』とか『ほしのこえ』とかそのあたりの作品の世界観を言っているのだろう…くらいの認識しかないので、セカイ系という言葉を前提にして話をされている部分などは正直上手く飲み込めたわけではない。

ひとまずセカイ系を、特定のジャンルの作品だと思えば、わりとスッキリする。たしか宇野常寛『 ゼロ年代の想像力 』では狭義のセカイ系とした上で、一部の作品を批判していたと思う。今回のイベントでは、狭義のセカイ系というよりは、宇野氏の批判も飲み込んで、社会思想にまで拡大された広義のセカイ系を扱っていて…たかどうかは知らないが、再び「セカイ系」という言葉を大海へと解き放とうとしているようにも感じられた。ということは、発売された本は、まとめ本ではないのかも…。

で、セカイ系。それでもよくわからない。

話を聞くかぎり、とりあえず「批評家の語りのツール」としてセカイ系はまだ有効だよ、と言っている様にも聞こえる。それは、廣野由美子『 批評理論入門 』でいうところの「ジェンダー批評」とか「ポストコロニアル批評」みたいな批評のスタイルに「セカイ系批評」が加えられたということなのかもしれない。

だとすると、僕の中のセカイ系のイメージはこんな風になってしまう。

セカイ系とセカイ系批評のイメージ図

今回のイベントでは佐々木敦さんがセカイ系に対して(新ヱヴァに対しても)身も蓋もないことを言っていて、その様子が 東工大シンポジウム での浅田彰氏の態度と被っていて面白かった(終了直前に退出するところまで同じだった)。

突然、投資の話につなげると、近年は日本株式、日本債券、海外株式、海外債券などフィールドの異なる投資先の相関係数が高まってきている(相関係数が1になると完全連動)。そのため、分散投資の効果が低くなってきており、投資リスクを考える上ではよくない状況が続いている。サブプライムショックは、本来直接的な関係がないはずの日本市場にまで大きな影響をおよぼした。

こうした状況が、サブカルチャー界隈の批評の世界でも起こっているような気がしている。ようするに、僕は今の社会は「相関社会」だと思っている(つまり、無関連化などしていない、むしろ逆である)。そして、その状況をあまり好ましく思っていない。

登壇した佐々木氏は、サブカルチャーを語る論者としては東浩紀氏と対極に位置する人のように思えるし、ポスト作品論的な批評のスタンスにもひかれるものがある。彼のスタンスは、ゼロ年代にゲームボードの覇者となり、「批評は社会学化している」と説く東氏の対極に位置する存在だと思うので、分散投資派(ここでは様々な角度からの主張を聞きたい、という意味)としてはありがたい存在なのだ。

関係ないけど、僕が毎週見ている『 西部邁ゼミナール 』の西部邁氏の話も、相関社会の知の分散投資という意味で大変貴重なのである。

ところで、佐々木氏と東氏を対立軸にしてものを見たとして、そのときに一点気になるのは、東氏が主催しているゼロアカ道場の優勝し村上氏は、東氏が期待していた『ゼロ年代の想像力2』のような文章を書いておらず、どちらかというと佐々木氏に近いような文章を書いていることが少しだけ気にかかっている。彼が著作の参考文献としてばるぼら氏の『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』を挙げていたことも無関係ではないだろう。つまり、こんなところにも相関社会の影が落ちているかもしれない…というわけだ。

Posted by Syun Osawa at 00:20