bemod

2009年12月22日

インターネットが死ぬ日

ジョナサン・ジットレイン/訳:井口耕二/2009年/早川書房/新書

インターネットが死ぬ日「肥沃なインターネット」って言いたいだけやろw

いやほんと。何回同じこと言うねん…って本。100ページくらいまで読んで、「あっ…これは違った…」と気づいていたのに、全部読まないと損した気持ちになるという貧乏性が災いして、結局、最後まで読み切ってしまった。こういう本に限って、460ページとかあるんだよな…。

ようするにこういう話だ。

これまでインターネットは、多くの人たちが労力を提供することによって、創造性に溢れたコンテンツやコミュニティスペースを作り出してきた。その過程でコンピューターウィルスや情報の漏洩、著作権などの問題が顕在化してきたが、そうした問題を先送りしてきた。なぜなら、それらの問題(リスク)よりも、肥沃なインターネットから得られるリターンのほうが大きいと考えられていたからだ。

だが今、その「リターン>リスク」の関係が崩れてきて、多くの人はリターンの増大よりもリスクの軽減を求めるようになった。その結果、オープンソースで、多くの人が自由に改変することの出来る肥沃なインターネットよりも、一部の制度設計者が強権を持って操作できるひも付きのアプライアンス型ネットワークを選択するようになったのである。これではインターネットはいずれ死んでしまうので、これまで先送りしてきた問題を、ひも付きではない形で上手く乗り越える方法を考えようということらしい。

言いたいことはわかる。ただ長すぎる。池田信夫『 希望を捨てる勇気 』と同じく、警鐘を鳴らすことが私の使命とでも思っているせいか、大衆の意識変革を強く促すような姿勢をとりながらも、「じゃあどうすんの?」という領域にはほとんど踏み込んでいない。アウトボクサーのように延々と本題の外側でサークルを描いているに過ぎない。

まぁ…それはいいか。ともかく、気になるところが二つあった。

一つは、iPhoneをひも付きのアプライアンス型ネットワークの代表例として挙げていたことだ。iPhoneアプリは多くの在野のプログラマーを巻き込んでいるし、ライバルのアンドロイドは、ウェブ2.0の象徴でもあるgoogleのプロジェクトだ。さらに、iPhoneの立ち位置は、ネットブックの小型化と携帯のPC化の潮目とでも呼べる場所に位置しており、今、いちばん緊張感のある場所にあるのがiPhoneだと言ってよい。よって、ひも付きのアプライアンス型という概念だけ読み込んで、それでインターネットが死ぬとまで言ってしまうことには違和感がある。

もう一つは、ひも付きのアプライアンス型ネットワークのイメージをハードウェアに置いていることだ。コンテンツを設計するのではなく、人の集まる場所そのものを設計をするという2.0的な考え方そのものが、ブラウジング環境におけるひも付きのアプライアンス型ではないのか。ブログが流行するまでの日記サイトはもっと自由な形式だったし、人々のコミュニケーションはこんなに定型の雛形の中に押し込まれていなかったはずだ。Youtubeやニコニコ動画にしても、動画の中身は自由かもしれないが、フレームや時間の不可逆性などは固定されてしまっている。また、視聴タイミングも画質といった視聴環境は、権力者のコントロール下にある(そうでないのはWikiくらいのものだろう)。

インターネットは所詮ツールであり、傘と同じである。傘の形状がほとんど変わらないのと同じように、インターネットもやがては、コミュニケーションツール、メディアツールとして、あるべき場所に静かにおさまるだろう。そのことを、肥沃なインターネットが痩せ細っていく状況に置換して、いつまでも駄々っ子のように問題を先送りしていてもはじまない。インターネットが死ぬのなら、その次のオルタナティブを求めて旅立つ。それくらいのパイオニア精神(風俗店魂と言ったほうが正確か)を持ち続けることのほうが、インターネットは肥沃であり続けるように思う。

Posted by Syun Osawa at 00:58