bemod

2010年01月07日

マトリックス・リローデッド

監督:ウォシャウスキー兄弟/2003年/アメリカ

マトリックス・リローデッドアクションシーンがヤバいw

特に、敵が全員スミスというカンフーのシーンと、高速道路でのカーチェイスが熱すぎる。前者は格闘シーンは、肉体を用いた動きの演出とCGを用いた空間の演出が上手くミックスされていて、しかもカメラワークの上手さもあってかなりすごい映像になっていた。後者のカーチェイスは、Wikiを見ると、このシーンを撮影するためだけに古い滑走路上に約2.5キロにも及ぶ高速道路を造ったらしい。こちらも現実のカーチェイスとCGを上手く融合しており、CGっぽさを感じさせない、生々しい場面の連続だった。

ストーリーのほうも想像以上に深い…というか、今っぽさがあった。1作目の『マトリックス』を劇場で見たのは10年以上前。内容はほとんど覚えていなかったのだが、現実に近い世界が仮想空間で、SFっぽい方が現実の空間という逆転の設定に気づかされてからは、僕の頭の中にある情報が、バーッとつながっていった。この戦いは、ねとすたシリアス@ねとすたまつり2009 で交わされていた、「アーキテクチャ派 VS コンテンツ派」の議論の戯画化そのものではないか。

人工知能によって支配されている現実の世界(SFっぽい世界で表現)と、マトリックスの世界(現実っぽい世界で表現)という対比が全体にあって、さらにマトリックスを作り出しているソース(プログラム)の層があることが明らかにされていく。マトリックス内の仮想空間におけるバトルでは問題は解決せず、大きな変化をもたらすにはソースの層の改良が必要であると(PCの再インストールのようなもの)。

映画の終盤に、神的な存在として、アーキテクトなる人物が登場し、ネオに二つの道の選択を迫る。一つはソースの層へ続く扉で、こちらを選択すればマトリックス内の仮想空間はリセットされ、中にいる仲間や恋人を失うことになる。もう一つは仮想空間の層へ続く扉で、こちらを選択すれば再びスミス達のいるバトル・フィールドに舞い戻ることになる。

まさにここがアーキテクチャ(ソースの層)とコンテンツ(仮想空間)に該当する。そして、ネオは愛する恋人や仲間を救うため、仮想空間での戦いのほうを選択するのである(よって、ネオはコンテンツ派w)。普通なら上位層に位置するはずのソースの層にいくべきはずで、しかしそれを彼はそれをしなかった。この人間の選択こそが希望である…というわけだ。わりとベタな決定だとは思うが、ハリウッド映画の王道としても筋が通っていて、なかなか熱いストーリー展開だったと思う。

『マトリックス・レボリューションズ』へ続く。

Posted by Syun Osawa at 00:33