bemod

2009年12月23日

ねとすたシリアス@ねとすたまつり2009

2009年12月19日/18:30−21:00/富士ソフトアキバプラザ

ねとすたまつり 2009東浩紀、藤村龍至、宇野常寛、濱野智史による『ねとすたシリアス』公開収録? ねとすた関係は、ほとんどニコニコ動画でしか見てないので、いつものシリアスのメンバーではないこの面子で、なぜ『ねとすたシリアス』なのかもわからず。とりあえず当選したし、無料だし、NHKに感謝…みたいなw

驚いたことに、出演者も客席も全員男。この異常事態で「民主主義2.0」がテーマというのだから、その時点でヤバい感が漂っており、さらに客席ではPCを持ち込んで、Twitterで実況をしている人も結構いて、その実況に出演者が反応するという展開がヤバさに拍車をかけていた。なるほど、これが2.0的なイベントなんだな(知らんけどw)。

イベントで話されていた内容は結構面白く、勉強になることが多かった。中でも藤村氏が建築の分野で試みている超線形プロセスにおける「ジャンプをする/しない」という話はとても印象に残った。藤村氏の超線形プロセスの話はイベントでのプレゼンを聞いただけなので、上手く飲み込めていないが、僕なりの解釈をすると次の図のような感じになる。

【図】ジャンスする/しない

コンテンツ派とアーキテクチャ派を分けて説明されていたので、「コンテンツ派=ジャンプする=作家性」と強引に結びつけ、「アーキテクチャ派=ジャンプしない=作家性?」とした。藤村氏の話は図の下の部分に該当していて、アーキテクチャ派にあたる。Web2.0的というかGoogle的というか、創発的な活動が積み重ねられていくプロセスの先に作家性を見ているようだ。これは最近読んだアンドリュー・リー『 ウィキペディア・レボリューション 』とかジョナサン・ジットレイン『 インターネットが死ぬ日 』あたりにも通底するような面白い話だと思う。

一方、コンテンツ派の代表として宇野氏が話をされた。こちらの話もなかなか面白かったのだが、「自分探し」にまつわる話だけ少し引っかかった。宇野氏はロスジェネ世代のリベラル左翼とも関係があるらしく、彼らが「ロスジェネの運動をしても、集まってくるのは自分探しをしている人ばかり、だからそれでいくしかない」と話しているエピソードを紹介されていた。ここでいうロスジェネ世代のリベラル左翼な人が誰なのかは知らないが、『ロスジェネ』という雑誌の周辺だと想定するならば、自分探し君しか集まってこないのは、リベラルな彼ら自身が大きなジャンプをできていないことが最大の原因なのではないかと思う(大きなジャンプをすると言って、マルクスを読み返している場合ではないのではないかと思う)。

…という話は別によくて、引っかかったのはここから先の話だ。

とりあえずそんなロスジェネな人達がいるとして、自分探しをしていたとする。そのときに、自分達も小さなジャンプしかできないにもかかわらず、自分探しをしている人たちを嘲笑していてもしょうがいないのではないか。ここで、大きなジャンプをあきらめて、小さな領域で自己診断ツールを走らせることを目的にするのか、もう一度大きな放物線を描いてジャンプしようと試みるのか、このあたりで思想のベクトルというのは分かれていくのではないかと思う。

イベントの最後で、東浩紀氏と宇野常寛氏が中心となって会社を作ると発表された。これは彼らが2010年代に、大きくジャンプしてやろうという意思表示ではないかと思う。自分探しと派遣村を同値化してみたり、「靖国は趣味の問題」と言ってみたりと、イベントの中ではわりとラフな(雑な)議論もあったが、あまり細かいことは気にしないでおこう。とにかく彼らには、僕の想像を超えた地平まで大きく跳んでほしいと思う。そして、そんな熱い展開を期待したい。

Posted by Syun Osawa at 01:27