bemod

2010年01月19日

クォンタム・ファミリーズ

東浩紀/2009年/新潮社/四六判

クォンタム・ファミリーズSF小説読んだのなんて、何年ぶりだろ?

それくらい久しぶり。SF小説には少しトラウマがあって、中学1年生の時に初めて買ったルーディ・ラッカー『ソフトウェア』が僕にはとっつき難く、最後まで読めなかった。絵がポップだったという理由だけで買ったのがいけなかったのだ。水野良『ロードス島戦記』みたいなライトノベルしか読んでいなかった僕は、この経験ですっかりSF小説から疎遠になってしまった。

そんな僕でもこの本はそれなり楽しんで読めた。

その一番の要因は、僕がこれまであまり得意ではなかった「並行世界」という設定を、インターネットにあふれるbotの集積によって作られるというイメージで処理していたために、すんなり受け入れることができたからだと思う。前半部分で長々とその世界観の説明的な台詞があって、そこはなかなか読み応えがあった。『文学界』の東氏と平野啓一郎氏との対談では、平野氏がその部分を冗長だと述べていたが、僕自身はまぁまぁ許せる感じだった。特に、お互いのいる世界の時間がずれていて、2世代、3世代とbotによる並行宇宙がメタ的に重なっていくくだりはかなり引き込まれた。

ただし、小説として、ストーリーにぐいぐい持っていかれたかというと、怪しい。本作は、世界観の開陳をミステリー仕立てでやるという、昨今のアニメと同じ手法で作られているだけあって、僕はすぐに『 ノエイン もうひとりの君へ 』という作品を思い出した。正直な話、ストーリーに対する感想はこのアニメの感想と大差はない。特に後半は家族の物語に接続させていく展開で、ラストに向けて盛り上がっていくはずが、いつまでも並行世界ネタを細かく引っ張りすぎていて、何だか微妙に消化しきれない読後感が残ってしまったのは残念だった。

あと、小谷野敦氏のブログ を見て、ふと気づいたことでもあるのだが、この作品の味気なさって、もしかしたら押井守のテイストから来ているのかもしれない。無意味なテロの設定とか、心がサイバー空間を彷徨っている感じとか、ハードボイルドになりきれない変なハードボイルド風の立ち振る舞いとか、なんかそういう白々しいところにある真実…みたいなものに、僕は全然やられないのであったw

そしてもう一つ、この作品にはSF小説や美少女ゲームのガジェットがたくさん含まれているそうだが、僕は全然わからないので、そういう大人の楽しみができなかった点で、かなり損してるところも多いのだと思う。若い頃に、もっとたくさん小説読んでおくんだったな。教養のなさが悔やまれる。

Posted by Syun Osawa at 01:00