bemod

2010年02月16日

「躍動するイメージ。」展

2009年12月22日−2010年2月7日/東京都写真美術館

「躍動するイメージ。」展驚き盤の見せ方がいい。驚き盤の実物をはじめて見たのは、イントゥ・アニメーションで山村浩二さんが作ったものだったと思うんだけど、あれは手でクルクル回す可愛らしいものだった。今回は美術館での展示だけあって、ちょっとだけ大掛かりになっていて、アニメーションが立ち上がる瞬間のハード側からのアプローチが強く推し出されていた感じ。ハード好きな僕向けの方向性で、好印象。

今はアニメーションを見るときにハードの事を意識することなどないけど、アニメーションの黎明期には、シネマトグラフ映写機、キメーラ、シネトスコープなどいろいろあったのだ。僕が小学生の頃にも、京都の近鉄デパートの屋上にあったゲームセンターには10円を入れるとアニメが見れる機械があった。ゴーグルの形をしたレンズを覗き込むと、中でアニメーションが上映されるしくみで、今回もそれに似た機械が展示されていた。ハードの変遷はアニメーションのもう一つの楽しみであるはずなんだよなぁ、本当は…。

展覧会のサブタイトルが「石田尚志とアブストラクト・アニメーション」となっている。ようするに抽象絵画と同じ意味で、抽象的なアニメーションが展示されていたわけだ。抽象的なイメージをアニメーションでやるというのは、今回の展覧会を見る限り、ラースロー・モホイ・ナジ、マレーヴィチ、カンディンスキーらが活躍していた19世紀の初頭にすでにいろいろなことが試みられていて、ぶっちゃけやり尽くされている感が否めない(それを唯一突破したのは、CG技術くらいのものだろう)。そういう意味でも、今、抽象表現をアニメーションでやることの困難さみたいなものがあるのかもしれない。

それに、抽象表現をアニメーションという時間性のあるものに持っていくと、一気に時系列の方向にベクトルを持ってしまって、見通しがよくなり、抽象絵画の持つ平面性が失われるような気もするのだが、それはまた別の話。置いておこう。

ともかく、そんなやりつくされた感のあるアブストラクト・アニメーションに石田尚志氏は果敢に挑戦している。一つの作品に費やされた原画の枚数に圧倒されるという人間力のほうも凄かったし、特に《海の映画》という作品は、そうした抽象アニメーションが内在している批評性みたいなものを取り込んでいて、僕にもわかりやすい感じでよかった。

《海の映画》は映写機とスクリーン、そしてそれらが置かれた空間という位置づけをメタ的に捉えなおしていて、その枠組み(領域)が侵食されるというテーマになっている。これは だまし絵 的なフレーム問題(作品の内側と外側の問題)を取り込んでいて今っぽい。しかもそれが、閉塞感→崩壊→侵食→痕跡→溶け出すという感じで演出されていて、日常の中に潜む無限ループしているという感覚を上手く取り込みながら、作品化していた。

Posted by Syun Osawa at 01:28