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2010年02月24日

ホッタラケの島 〜遥と魔法の鏡〜

2010年2月11日/10:15−11:55/国立新美術館

ホッタラケの島 〜遥と魔法の鏡〜押井守作品や攻殻機動隊シリーズで有名なProductionI.Gが、宮崎駿作品を3Dでやったら快調に失敗した。世間の評価はこんな感じだろうか?

アメリカなどでは、今やアニメといえば3Dアニメになりつつあるが、日本ではまだまだ2Dが強い。そんな中で、ジブリよりも先んじて大衆を獲得するための3Dアニメを作ろうと試みたところは、とても素晴らしいと思う。しかも、ディズニーっぽいキャラクターではなく、あくまでも日本の伝統的な可愛らしい少女とかを出して御伽噺をやったわけで、結果的に微妙な内容になったとしても(失礼w)、『 ゼロ年代のすべて 』の編者である宇野常寛氏の言うところの「ハイブリッド路線」としては悪くないのではないか。もちろんこれは技法的な話。

技法的な話を続けると、表情の硬さとか、空気感のなさとか、一つ一つの動きを短縮しないがために起こる間延び感など、昔から指摘されている3Dの問題はあまり解消されていないようにも思った。カメラワークももっといろいろできるはずなのに、パンチラをさせないためかどうかは不明だが、主人公の女の子の動きが制限されている気がした。これなら、クラブ帰りとかにしてスカートの中に短パンでも履かせていた方が、まだ激しい動きをつけられたのではないか。

ストーリーのほうはもっと突っ込みどころが多く、『千と千尋の神隠し』にならって『不思議の国のアリス』を現代風にやろうとするも、最後まで手鏡とかポイントカードとかの根拠のなさが気になってしまった。

とはいえ、キャラの造形に関してだけは別で、かなり萌える感じに仕上がっていた。これはたんに、僕が3Dの映像を見慣れてきただけなのかもしれない。先日読んだ、アシモフの『鋼鉄都市』では人間そっくりのロボットと人間の軋轢が描かれていたが、3Dで作られたキャラクターの硬い表情に慣れ始めると、これが現実化(ロボット化)したときに、人はもしかしたら違和感なくそれらを受け入れてしまうのではないかという風にも思った。この感覚は『鋼鉄都市』が描かれた頃にはなかった想像力だろう。そう考えれば、3Dアニメが今果たしている役割というのは、後にくるかもしれないロボットと人間の共存という未来にとって、かなり大きいな役割を担っているのかもしれない。

Posted by Syun Osawa at 01:04