bemod

2010年03月07日

AURA ― 魔竜院光牙最後の闘い

田中ロミオ/2008年/小学館/文庫

AURA ― 魔竜院光牙最後の闘いうーん、ダメだった。頑張ってみたんだけど。

以前、『 人類は衰退しました 』を読んで、「ああ…僕はもうこういう空気系の雰囲気をただ楽しむことはできないんだな…」なんて、自分の老いを感じたりもしたわけだから、そこでやめときゃよかったのかもしれない。とはいえ、学生時代にいくつかのエロゲをやっていた身としては、「それでも田中ロミオなら!ロミオなら何とかしてくれる!」みたいな甘えがなかなか消えないのも事実。前情報では、ハルヒっぽいということだったし、批評家の評価も悪くなかったので、『 人類は衰退しました 』よりはいけるだろうと、安易な気持ちで読み始めたのだ。

読後の率直な気持ちとしては、ちょっと納得できないかな。

話は学園モノで、リア充 VS 妄想戦士のコミュニケーションバトル(自意識バトル?)もの。それを魔法がある世界のようなフックをかけつつ、しかし妄想戦士の抱くそうした世界は妄想にすぎず、現実から逃避しているあなたがそこにいるだけです、という冷めた視線も同時に提供される。

このライトノベルを読んでいる読者の多くは、少なからずオタク属性の何かしらのタグがついている人たちだろうから、ファンタジーの世界に対する愛も他の人たちよりも強いと思う。そういう人たちへ向けて、歪んだ鏡で「これはあなたたちの物語でもあります」と読者を照射するというのは、手法としてはアリでも、その歪ませ方にはかなり違和感を感じてしまった。

中学時代に妄想にふける属性の人間(オタクの演出としてはアリだとは思うが)だった主人公が、高校デビューのために別の回路(普通の高校生になる道)を開こうとしているために、内言がどこか冷めて分析的(メタ的)なものになっている。そこまではいい。

問題は、「なぜほかのオタクたちがその回路を開いていないと思うのか?」という点だ。自分は高校デビューの際にそこに気づいた。しかし君達は気づいていない。この関係性に僕は違和感を感じたのである。また、オタクという属性にまつわる話が、自意識バトルのモチーフになるというのは、どこか80年代から90年代初頭あたりまでの「いじめ克服物語」をベタに裏書きしているようで、何とも言い難い気分でもあった。

ところで、Amazonのレビューを見ると、みんな絶賛しているようなので、『 人類は衰退しました 』のときと同様、読めてないのは僕のほうだったようだ。ああ、僕の感性が死んでいく…。

Posted by Syun Osawa at 02:21