bemod

2010年06月19日

東京国立博物館

常設展示/9:30-17:00/東京国立博物館

東京に長いこと住んでいるのに、東京国立博物館に行ったのは初めてだと思う。以前、戦争画関連で「 戦争と表象/美術 20世紀以後 」というイベントに参加したことがあったが、あのときも脇の入り口から入ったので、中の展示物は一切見なかった。

今回初めて中の展示物を見て驚いた。僕の地元である京都国立博物館もなかなか凄いものが展示されていたが、東京はさらにヤバい。教科書で見た縄文時代の土器とか、その手のものが当たり前のようにガシガシ並んでいる。僕の中では東京国立近代美術館に初めて行ったときと同じくらいの衝撃だった。

ただ、衝撃が大きかった分だけ、悔しさも大きかった。美術史、仏教史、日本史などに疎いせいで、そこに展示されている作品(と呼んでいいのだろうか?)のコンテクストが上手く読み込めない。ちょうど、並木誠士『図解雑学 美術でたどる日本の歴史』なんかを読んでいる途中だったりするのだが、一歩遅かった。日本の美術史は仏教美術と密接に絡んでいて、そこを抑えないかぎりはどうしようもない。千手観音一つとっても、あの四方に伸びた多くの手に握られているもには決まりがあるし、寺の社殿の配置にも曼荼羅が影響している。それらのルールもおざなりにしか把握していないので、妙にもどかしいのだ。

横を見れば、50代の女性が何やらメモを取りながら、熱心に仏像を見つめていた。刀剣のコーナーでは70歳くらいの男性が、これまた真剣に刀を見つめている。きっと彼らにはそれらのコンテクストがわかるのだろう。いずれにせよ今の僕にはわからない。しかも、施設が広すぎるため全部を見て回ることはできず、本館、法隆寺宝物館、表慶館、ミュージアムシアターだけを回って帰った。東洋館や平成館はまた次回。

作品の良し悪しとは別のところで気になったのは、立体の優位性についてだった。日本画の線の細さも影響しているのだと思われるが、古い絵はかなり色があせてしまっている。期間限定展示の「六道絵」にしたって、目を凝らして見ないと、書かれている絵の細部を判別することは難しかった。その一方で、法隆寺宝物館に飾られている銅で作られた仏像は、飛鳥時代につくられたにもかかわらず、その形をはっきりと留めている。古いという意味では、教科書でも度々登場する縄文式土器が明瞭な輪郭を保っていることなどもわかりやすい例だろう。

「形あるものもいつかは滅びる…」というのは確かにその通りだが、平面しかない絵は、もっと早く滅びてしまうのだ。そして、その平面すらないデジタルデータなどはさらに早く滅びてしまうのだろう。古いものは博物館に残されるが、90年代後半くらいのデジタルアーカイブの多くが失われてしまう可能性も高い。当たり前の事かもしれないが、そんな作品の強度について、ちょっとだけ考えさせられた。

Posted by Syun Osawa at 02:21