bemod

2010年08月22日

ステップ・アップ 2 ザ・ストリート

監督:ジョン・M・チュ/2008年/アメリカ

ステップ・アップ 2 ザ・ストリート前回の『 ステップ・アップ 』に続き、続編も見た。

今回は、前回あった「不良=ストリートダンス=成り上がり」といったベタな展開を抑制して、芸術専門学校?の生徒の学生生活を中心にした現実路線の話にシフトしていた。日本で言ったら「ハチミツとクローバー」的な? いやいや、そこまで内省的な方向ではないが、ともかく社会的なバックボーンを下支えにした物語というよりは、あくまでダンス好きな若者が自分たちのやりたいダンスを追求するという部分に焦点が絞られた内容になっていた。

そのため、ダンスはかなりカッコいい。前作はストリートダンスの経験者がバレーなどのアカデミックなダンスの世界に飛び込んでいくというものだったが、今回はその逆で、芸術学校に通う学生がストリートに出てダンスバトルをするという内容になっていた。そこで繰り広げられるダンスは、ストリートの中に自分達のやってきたクラシカルなダンスを取り入れるというもので、前作同様にハイブリッドな演出がなされている。

ここで面白いのは、前作がクラッシックなダンスがストリートダンスのような自由な踊りを取り入れられないことに対する批評が含まれていたのに対して、今回もストリートダンス自体が社会的な出自やそこで共有されている「クールなもの」に固執して、ステレオタイプに堕していることに対する批評が含まれていることだ。そして、いずれの作品もその乗り越え方としてハイブリッドを選択している。この乗り換えた方は、『ユー・ガット・サーブ』でも『ストンプ・ザ・ヤード』でも同じである。

で、そのハイブリッドな乗り越え方がいかなるものであるか? そこが、これらのダンス映画を見る上でのポイントなのだということが、最近ようやくわかってきた。でも、何だかこれって、宇野常寛『ゼロ年代の想像力』で、セカイ系の後に決断主義が来て、その想像力をどう超えていけるかを問題にしていたこととかなり似ている気がする。うーむ、それもうどうなんだろうかw

この作品に寄り添った感想をもう少し続けると、この学校に通っている生徒達の中で、優れたものはプロのダンサーになる。しかし、彼らがプロで行うダンスというのは、アイドルのバックで踊ったりすることである。学校では堅苦しい踊りをやらされ、プロになった後もアイドル用に設えられた踊りを踊るのだ。では、彼らが本当のパフォーマンスはどこで発揮されるべきなのか? その場所はどこなのか? ゼロ年代のダンス映画は結構そこに頭を使っているような気がする。そして、その場所の問題がダンス映画を見ている中で一番熱いトピックになってきているのだが、この話はどこかでまた考えることにしたい。

Posted by Syun Osawa at 00:11