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2010年09月29日

上村松園展

2010年9月7日−10月17日/東京国立近代美術館

上村松園展上種美術館で《牡丹雪》という絵を見て以来、すっかりお気に入りの日本画家になった上村松園の展覧会。お気に入りと言っているくせに、会場に掲げられた松園の年表を見るまで、この画家が女性だったことを知らなかったという素人っぷりで、自分の思考の浅はかさを思い知った展覧会でもあった。

というのも、松園の描く女性があまりにも奔放に自然な動きをしていて、この自由すぎる女性をどうやって男が描いているんだろう? と疑問に思ったからだ。それはおそらく、いったん女性というものをキャラ化して、その上でそのキャラを作品の世界の中で自由に動かしているのではないか? だとしたらそこにも、男性の日本画家が描く美人画に感じる妙なスケベ心が、松園の描く女性の中にも隠蔽されているのではないか? とか、そういうくだらない事を考えてしまったのである。ああ、恥ずかしい。

そういうジェンダーめいた話はともかくとして、松園の絵で僕がもっとも好きなのは緻密な主線と構図である。描かれる女性の表情を丁寧に描くことで感情を表現するというだけでなく、構図によってその感情を上手く引き出しているのが素晴らしいと思う。

また、空白の使い方もうまく、山種美術館で見た《牡丹雪》をはじめとして、今回の展覧会では《人形つかい》という絵も素敵だった。また、《虹を見る》、《夕暮》、《朝ぞら》などは絵の外部に虹や太陽、空の存在があって、画面の中にはそれらが決して描かれていない。にもかかわらず、画面の中の女性たちがそれらを意識した振る舞いをすることで、外部にあるそれらの美しさを想像させるという演出もミニマルでなかなか上手いと思う。

主線との格闘の跡が見え隠れしていたところも面白かった。展示されていた作品は、松園の年齢の若いものから順に並べられており、それを見ると、若い頃のほうが主線に対する意識が強いことがわかる。意識が強いというと御幣があるかもしれないが、ともかくわかりやすい形で主線のコンテクストと格闘しているのだ(例えば、色に合わせて主線の色に明確な変化をつけてみたり、距離によって太さを変えてみるなど)。

この主線との格闘というのは、明治から昭和にかけての画壇ではよくやられていたことで、特に日本画の世界ではマニアックに追求されていたのだと思う。そして、それを取り入れて世界で飛躍したのが洋画家の大家・藤田嗣治だった。

今回の展覧会とは全然関係ないが、この日本画壇の主線のコンテクストと藤田嗣治の関係が、最近の村上隆氏とオタククラスタな人たちの関係とよく似ている気がする。ようするに、村上隆氏が主戦場としている欧米のアートのバトルフィールドと日本のオタクの現場では、世界が異なる。それをいかに翻訳して移植するかというところに肝があると村上氏は言っているわけだけど、それは当時の藤田嗣治にも言えるのだと思う。

つまり、日本画の世界は深く、それだけでマーケットが成立する素晴らしい世界である(今回の展覧会でも、着物服姿の女性がたくさんいた)。しかし、その世界と欧米のアートシーンは違うため、そこには上手く翻訳するためのテクニックが必要だったわけだ。藤田嗣治と村上隆の似ている点はまさにそこにあるのだと思う。

と、どうでもいいことを書いてしまったが、そんなメタ的な話とは関係なく、松園は凄いのだ。彼女は12歳で京都府画学校(今の京都市立芸大)に入り、15歳で第3回内国勧業博覧会に出品。イギリスの王族に絵を買い上げられるという凄まじい経歴を持っている。さらに息子の上村松篁も画家として名を上げているし、実際、上の常設展にも松篁の絵が展示されていた。

彼女が活躍した時代は、明治の後半から昭和初期なので、個人的な興味としての 戦争と芸術 ネタも拾えるかと思ったが、それはほとんどなかった。1941年に華中鉄道の依頼で中国に慰問旅行に行ったくらい。

アニメ・マンガの文脈で「おっ!」と思ったのは、彼女のスケッチに人間の動きを連続的に描いているものが見られたことだ。これは 須田国太郎 のスケッチでも見られたことだが、ああいう絵はどういう目的で描かれたのだろうか(どの部分を切り取ると最も動きを表現しているかを考えてていたのかも)。あと、フランスの漫画家・メビウスのように、ほとんどアタリをとらずにスケッチしているところも興味深かった。

Posted by Syun Osawa at 01:05