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2011年04月21日

歴史を描く ― 松園・古径・靫彦・青邨

2011年1月8日−2月17日/山種美術館

歴史を描く ― 松園・古径・靫彦・青邨最近、山種美術館に行く頻度が高い気がする。それはここの企画展が僕の琴線に触れているから、という理由ではなく、チケットショップで安く売られていることが多いためで、必然的に行く頻度が高くなってしまうのだ。

そんな消費社会の悲しい現実が功を奏したのか、昔よりもかなり日本画が好きになったように思う。並木誠士『 図解雑学 美術でたどる日本の歴史 』などの入門書をちょくちょく読み重ねてきたことも大きい。なかでも、歴史を描いた“歴史画”は、素人の僕にもわかりやすいコンテクストを提供してくれるので気に入っている。

歴史画は社会の教科書に登場する機会も多く、そこに描かれた世界と、実際の日本の歴史が重ね合わされている。これは当時は写真がないために、ビジュアルの情報を得るためには、画家の想像力に頼るしかないからである。そして、この想像力を形にするための技法が日本画であり、その技法はそれぞれの時代の画家達によって何度も更新され続けてきた。よって、日本人が日本のイメージを思い浮かべるとき、画家たちの想像力によって築かれてきた日本画の更新過程そのものが、そのイメージの中心にくることは避けられない。そのあたりが、僕が歴史画に興味を抱く点である。

今回展示されていた絵は、明治から昭和初期にかけて描かれた歴史画だった。すでに写真の技術が存在する時代に描かれた絵である。昭和初期に活躍した上村松園の絵もあったし、内容的にもバラエティに富んでいて飽きなかったのだが、全体を俯瞰してみると、クラシック音楽を現代の音楽家たちが再現しているような表現に感じられた。技術は高度で洗練されているのだが、江戸後期まで続いたイメージの上塗り(そしてこれ自体が日本を形作ってきた)といったものが見当たらないのだ。

歴史の教科書で、戦争や偉人たちの肖像画など、歴史の資料として絵画が使われなくなるのもちょうど明治の頃からである。日本画の役回りが写真の登場と近代化によって変わってしまったのかもしれない。それが、画家や大衆の絵画に対する思いにどの程度影響を与えていたのかはわからないが、ここから先の歴史画は、漫画でいえば「近代麻雀」くらいのサブジャンルに一気に縮小されていったのだろう。それは大文字の歴史と歴史画とが、完全に別のレイヤーに分離してしまったことを意味している。

よって、写真の登場以降に描かれた歴史画をより深く見ていくためには、たんなる歴史と絵画の重ね合わせというだけでなく、より高度なコンテストの読み込みが必要になるはずで、その読み込みの技術が高度になればなるほどサブジャンル化が加速していき、逆に歴史との距離は遠ざかっていくという二律背反の状況になっていくのだろう。こうした困難さを引き受けつつ歴史画を見る…なんてことは僕にはできそうもないので、歴史画を楽しむのは明治初期のものまでに留めて、あとは普通に日本画を楽しべきかもしれない。

Posted by Syun Osawa at 00:36