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2011年09月15日

コミュニティを問い直す

広井良典/2009年/筑摩書房/新書

コミュニティを問い直す自分の中の関心トピックである「コミュニティ」についてお勉強。前に読んだジェラード・デランティの『 コミュニティ ― グローバル化と社会理論の変容 』はイギリスの学者から見たコミュニティの話だったので、日本人が書いたコミュニティ本を今回は選んでみた。

この本では、日本特有の「場の空気」について言及されている。ちまたで「空気を読め」とか「空気が読めない」などという風に使われるこの「空気」というものは、互いに同意できるコミュニティがそこにあることが前提となっている。そして、このコミュティの内部では過剰なほど周りに気を使ったり同調的な行動が求められる一方で、一歩でもその集団を離れると誰も助けてくれる人がいない(孤立化、ぼっち化)といった「ウチとソト」の落差の問題を抱えている。著者は、このことが生きづらさにつながっているのではないかと問う。

また、地方の高齢化とコミュニティ破壊の問題も深刻だ。著者はシャッター街と化した地方都市に若者を呼び戻し、そこに再びコミュニティを構築するアイディアを披露しているが、地方の快適な空間や自然環境だけでは、若者が地方に戻ることはないだろう。なぜなら、今は地方も都会も並んでいる店にほとんど差がないため、若者にとっては人の数が多いかどうか、交通の利便性といったシンプルな動機がその場所に留まる条件になりやすいと思うからである。これは、最近の日本総郊外化の問題そのものである。

だから、地方と都市は相互補完的で対等な存在では全然ないのだ。よって、人の少ないその場所に留まるべき積極的な理由がなければ、地方のコミュニティは破壊され続けるのだろう。もちろんその一方で、都市にはそもそも強いコミュニティが存在しないわけで、これはなかなか大変な問題だなと、この本を読みながらぼんやりと考えていた。

結局のところ、日本におけるコミュニティの問題は、上に書いた関係の二重性(ウチとソトの問題)と、中間共同体(集団)をどうつくるかという問題に集約されているように思うし、これは、誰もが感じているところだろう。著者は、そのどちらも必要で、それらが相互補完的なコミュニティを構築するべきだと言っており、これには同意できる。

とはいえ、農村型コミュニティを復活させようというようなことは難しい。今だと突破口はネットということになるのだろうが、ネットの最大の問題は距離の壁を越えられないということで、その点について何かもう一歩踏み込んだコミュニティ像が示されれば、僕のようなお一人様のおっさんも少しは未来に対する不安が軽減されるのだと思う。

Posted by Syun Osawa at 01:54