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2011年05月17日

コミュニティ ― グローバル化と社会理論の変容

ジェラード・デランティ/訳:山之内靖、伊藤茂/2006年/NTT出版/四六

コミュニティ ― グローバル化と社会理論の変容サンデルの『 これからの「正義」の話をしよう 』を読んで、コミュニティについて考えるようになった。というのも、正義本によって、僕の考え方はコミュニタリアニズムとリベラリズムの中間くらいにあるなと思ったからだ。

コミュニタリアニズムというのは、古きよき共同体幻想を復活させようという主張ではなく、行き過ぎた功利主義に対して、共同体の重要性を尊重しようという主張だと理解している。で、そのときに持ち出される共同体(コミュニティ)について考えるとき、それが実に多様な姿をしており、また時代と共に大きく変わっていることに気づかされる。例えば、インターネットの登場によって、仮想空間にも人々がコミュニケーションを取れる場所が広がっており、実際に会ったことのない人同士でもコミュニティを形成できる状況が生まれている。

この本では、そうした多様なコミュニティの姿を、高所から俯瞰し、わかりやすい形で分類している。分類された個々のコミュニティへの言及がなかなか難解だったため、社会学の素養のない僕には少しハードルが高かった。だから、哲学的な考察などはスルーし、この本に書かれているコミュニティの歴史的変遷を追いながら、「コミュニティとは何か?」という素朴な問いについて考えていた。

それは次のようなことだ。

グラウンドに知らない者同士の10人を集めたとする。あなたもその1人だ。そして、5人ずつに分かれる形で仕切り線を引く。たったそれだけのことで、自分のいる側の4人に対して、あなたはコミュニティ意識を抱くだろう。さらに、その4人のうち1人が自分と同郷だとわかった。これで、その1人とはさらにより強いコミュニティ意識を抱くはずだ。

そうこうしているちに、グラウンドの向こうから別の10人がやって来たとする。おそらく前からいた10人は、その瞬間に10人の間に強いコミュニティ意識を持つのではないだろうか。この意識に何か高尚なロジックがあるわけではない。何となくそのような意識を抱くという話である。

しかし、そうしたコミュニティ意識も20人が一群となり、打ち解けていった後には少しずつ薄れていくことになる。そして今度は、気の合う者同士のグループがいくつか生まれるはずで、さらに、それらのグループに属すことができない1人ぼっちの者もあらわれるだろう。

そのように考えると、コミュニティには先天的に偶発性によってもたらされるものと、後天的に自らの力で獲得していくものの2つがあるように思える。そして、今の時代は前者が弱くなり、後者の重要度が増しているように思える。つまり、友達がたくさんいる人、知り合いとの繋がりでビジネスパートナーを多く獲得していける人などは、より強いコミュニティを持つことになるわけだ。

上で示したコミュニティの成り立ちをふまえて、少しネトウヨについて考えてみたい。

マイケル・サンデル『 これからの「正義」の話をしよう 』の感想でも少し触れたが、彼らは在日朝鮮人や創価学会を徹底に叩くことで、自分たちが日本人であること、愛国者であることを強く意識しようとしているように思える。また、ノンフィクション誌『 g2 vol.6 』に掲載された安田浩一氏によるルポ「在特会の正体」を読むと、彼らがそこに自分たちの居場所を見つけているようにも思える。

この事を、上のグランドの例につなげて考えると、彼らはこれまで偶発的(例えば戦争など)にもたらされていた切断線を、自ら引くことで強引にコミュニティを作ろうとしているように思えてならない。それが良いか悪いかは別として、もしも今の時代、切断線のなくなった世界で、自らのコミュニケーション能力を生かしてコミュニティを築き上げていことがより重視されているとすれば、その能力に劣る人たちは静かに排除されていくことになる。

そのこととネトウヨを直ちに直結するつもりはないが、もしもそうした人たちがコミュニティを獲得するために、強引に切断線を引き始めたとすると、ここで見えてくるのは社会から静かに排除されている人たちのささやかな抵抗のようにも思えるのである。

だから「排他主義もOKでしょ」と、僕は言いたい訳ではない。切断線がなくなるということは、単純に言えば世界が一つになっていくことであり、それは戦争が繰り返されていた時代には理想とされていたものだ。しかし、グローバル化の元で、急速に切断面がなくなっていくと、今度はそのことによって排除されるコミュニケーション弱者が生まれる。それはなぜか? 人間は集合性を持った生物だからであり、そこにも自然淘汰の法則が働いてしまうからだと僕は考えている。では、そこで生まれた弱者をどうするか? 特に左翼はどう考えるのか? 僕がコミュニティについて興味があるのは、ほとんどその一点のみである。

ノンフィクション誌『g2 vol.07』で、安田浩一氏が在特会ルポの続編を書いているので、それを読んでまたちょっと考えてみようと思う。

Posted by Syun Osawa at 23:50