bemod

2010年12月31日

g2 vol.6

青木理、安田浩一、森功 他/2010年/講談社/A5

g2 vol.62ch経由で「「在特会」の正体」という記事がネット上で話題になっていることを知った。で、立ち読みしようと思って書店で『g2』を手にとって見たら、表紙に「同和と橋本徹」の文字が。これまた興味をそそられるタイトルである。『g2』はこれまでに『 g2 vol.1 』と『 g2 vol.3 』を買ったことがあり、どちらも読み応えのある内容だった。そんなこともあって、本誌を1ページもめくることなくレジに持って行ってしまった。

で、読み始めてビックリ。すげーつまんねーのw

筆者が可愛い女の子でなければ恐らく掲載されることの無いであろう秋葉のコラムとか、中年の自意識交じりのセックスの話とか(これは購読者層を考えればアリなのかもしれないが…)、そういうのはアエラでやってくださいというような就職座談会とか、これまたありがちなポスト・ホリエモンの草食系学生起業ルポ。いまどき硬派なルポだけじゃ売れないから、微妙に柔らかいところを取り込みにいった結果、こんな風になっちゃったんだろうな。うーん。

それはともかく、2つのルポの話。

「「在特会」の正体」というルポは、「在日特権を許さない市民の会」という団体の会長・桜井誠氏の人物像に迫ったものだ。読み終えて、「やっぱりな…」という感想しか出てこなかった。というのも、僕が想定していた人物像そのままだったのだ。ニコ生などを見ていると、たまに非常に偏狭なナショナリズムをあらわにしたような書き込みを連投している人を見かけるが、ああいった類の人も似たような境遇を生きているのかもしれない。

こういう話をするときに「ネトウヨ」という言葉を使用すると、すぐさま「ネトウヨの定義は?」という言葉が脊髄反射のように返ってくるが、当然明確な定義などあるはずがない。しかし多くの人が「ネトウヨ」という言葉から連想しているのは「迷惑な人」ということだけだろう。

別に誰がどんなことを考えることも自由だと思うし、在特会の主張も自由である。しかし、ルポを書いた安田氏も書いているように、彼らの主張が繰り返される問題の本質は別のところにあるように思えてならない。そして、彼らの主張が「迷惑な人」の声として一般大衆からはスルーされ、その声が社会の低い位置で共振し合いながら拡大しているのだとすれば、彼らの声は、下の者がより下の者を叩くという下方スパイラルの連鎖を助長しているだけのように見えて、ただただ悲しいのである。

もう一つの「同和と橋本徹」というルポは、僕が抱いていた橋本像を少しだけ軌道修正させるもので、なかなか面白かった。同和ネタというのは、差別と逆差別の挟み撃ちに合うので、どのように主張しても差別的になるというパラドックスから逃れられない。だから、ぶっちゃけ書きにくいんだけど、橋本氏は渋谷出身であるにも関わらず、同和問題と非常に密接に関わりながら育っているというところに、彼の半生の壮絶さが見え隠れしていた。僕はもともと彼の『 どうして君は友だちがいないのか 』を読んでいるくらいで、それほど印象は悪くない。そんな印象が、今回のルポを読んでさらに少しだけ印象が良くなったのは、僕的には喜ぶべきことか悲しむべきことか(うちの親は嫌いらしい)。

Posted by Syun Osawa at 19:23