bemod

2012年08月16日

ジャクソン・ポロック展

2012年2月10日−5月6日/東京国立近代美術館

ジャクソン・ポロック展ジャクソン・ポロックの絵に向き合ったのは12年ぶりだ。

12年前、大学を卒業してすぐロンドンに行った僕は、テート美術館で開催されていたジャクソン・ポロック展を見に行った。その頃の僕は抽象画があまり得意ではなく、唯一楽しんで見れるのはカンディンスキーくらいだった。そのため、テート美術館自体を満喫できればそれでいいや、という気分だった。そもそも僕はジャクソン・ポロックを知らなかった。

テート美術館内に入ると絵なのか何なのかわからない色の塊りが巨大な壁に張り付いていて度肝を抜かれた。そして、一瞬にして彼の絵の持つパワーに飲み込まれてしまった。何かが描かれているというよりは、目の前の平面からエネルギーが放出されているような強いインパクトがあり、巨大なキャンパスに飲み込まれそうな不思議な感覚を抱いたことを覚えている。また、めちゃめちゃにぶちまけられた様々な色の流線に、必然と偶然の間を行き来するような妙な美意識を感じたりもした。

あれから12年、僕もいろんな絵を見て、抽象画についても少しだけ知恵をつけたように思う。村上隆『 芸術起業論 』あたりを読んだころから、少しずつ現代アートも見るようになったし、その裏側にある美術マーケットについて意識するようになった。そういう視点で今回展示されたポロックの作品を眺めると、12年前とは違ったポロックが見えてきた気がする。

一見、不規則に落とし込まれたように見えるペンキの線はもちろん無意識によって落とされたものではない。恣意的にその場所に落とされている。館内で上映されていたドキュメンタリー映像を見ると、ポロックは何度も筆で塗り直しもしており、完成した絵のコンポジションを重要視していたことが伺える。

絵を描いているという描画行為そのものを見せるアクション・ペインティングという手法を採用したのも、当時の美術マーケットの流行が大きく影響しているのだろう。こうした点から、彼は美術界でいかに勝つかを考え続けていた人なんだな、ということを思った。

今回の展示会の目玉である《インディアンレッドの地の壁画》(テヘラン現代美術館所蔵)はえんじ色の下地の上に白いペンキが全体を覆っている絵だ。黄色と黒のアクセントが素晴らしく、非常に緊張感のある画面構成になっている。そこには無意識の感性よりも、強い意志が感じられる。ここに彼の抽象画の肝があるのかもしれない。

抽象画という素人の僕には理解し難いスタイルの裏側には美術界のコンテクストがあり、それが表裏の関係で密接に結びついている。そして、そのルールをベタに引き受け、愚直に格闘し、成功したのがジャクソン・ポロックだったのではないのか。そんなことを思った。

Posted by Syun Osawa at 09:42