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2005年02月11日

まぼろしの戦争漫画の世界

秋山正美/夏目書房/書籍

まぼろしの戦争漫画の世界戦争漫画なんてジャンルの漫画はアホほどあって、みんなそれを楽しく読んでいるのに、それがこと戦前の漫画になるとサーッと引いた感じになってしまう。その一番の原因は、漫画の中に登場する敵の後ろ側に中国やアメリカというリアルな敵が透けて見えると、僕らが勝手な先入観で覆ってしまっているからだ。だけど内容だけで見るとかわぐちかいじの漫画の方がよっぽど生々しい。

戦争漫画といっても、そのほとんどが動物をキャラクターにしたドタバタ戦争漫画である。なぜ動物なのかというと、人間を主人公にドタバタコメディをやると「兵隊さんはドジをしない」と国から圧力がかかるらだ。漫画映画『 桃太郎・海の神兵 』を見ても、人間の姿をした日本人はみんな見事につまらないキャラクター(マジメで間違いをしないという意味で)として存在している。当時の漫画家たちは、表現の自由を制限された状況下にあってもユーモアを描きたいという強い意志のもと、ドン臭くてもOKな動物を題材に動物戦争漫画という一つのジャンル(ある種の限界でもある)を作り上げた。

戦前の漫画でもっとも有名なものは、田川水泡の『のらくろ』だろう。当時は海賊版的な漫画(早い話がパクリ漫画)も存在するほどの人気を集めていたそうだ。そのことからも推測できるように、『のらくろ』のヒットの背後にはかなり大きな漫画のマーケットが存在したはずで、そこで発表された漫画群の中には今に通じるような素晴らしい漫画がたくさんあったのだと思う。

同書に掲載された漫画の中でいうならば、僕のオススメはダントツで大城のぼるの『トッチン部隊』だ。この作品はできれば手に入れて読んでみたい。レイアウトといい、物語の展開といい、『のらくろ』をはるかに超えた(今に繋がる)漫画っぽさを持っている。そして、映像作品を意識したような連続するコマ割りが印象的だ。昭和の漫画史の中では、手塚治虫の『新宝島』が映画表現を取り入れ、トキワグループの多くの漫画家達に影響を与えたという風になっている。たしかに影響についてはそうだろう。しかし『新宝島』的な作品というのは戦前にもあったということは、『トッチン部隊』を見れば明らかである。ちなみに、大城のぼるは藤子不二雄の初単行本『UTOPIA 最後の世界大戦』(鶴書房)の表紙絵を描いた漫画家でもある。

ではなぜ、そこ(手塚治虫とそれ以前)が分断されたのか? ここがこの本のキーポイントでもある。戦前に描かれた大日本帝国賛美とも捉えられがちな戦争漫画群は、実は太平洋戦争が始まった頃からはほとんど発表されなくなる。「兵隊さんが敵地で戦っているときに漫画とは何事だ」というわけだ。そして資源節約の理由で漫画雑誌は小冊子になり、絵物語を中心とした誌面構成で細々と発刊されていく。つまり戦争漫画は戦中に戦意を高揚させるためにあったのではなく、今と変わらない虚構の物語を楽しむために存在したのだ。それが判明した時点で、手塚治虫以後とそれ以前は繋がれなくてはならないはずなのに、その後の漫画文化があまりにキラキラし過ぎていて、かなり中途半端な形で論じられてきたのではないか。

だって、凄いよ。戦前の漫画群の表紙のポップさは尋常じゃないもの。田川水泡の『のらくろ上等兵』(講談社)が上梓されたのは1932年である。『カラー版 西洋美術史』(美術出版社)を開くと、この時代はダダイズム、シュールレアリスム、キュビズムの花盛りだった時代だ。アンディ・ウォーホールがまだ5歳のときに、後のポップアートに繋がるような素晴らしいデザインの本が各社がこぞって発売していたのだから、海を渡った写楽の絵と同様に、その部分はもっともっと胸を張って論じられるべきであろう。

PS.

日本で初めてヨーロッパ・アメリカ風の漫画を描いたといわれる北沢楽天の一番弟子が岡本一平という漫画家で、その一平の息子が芸術家・岡本太郎であると書かれていた。このあたりの繋がりもなかなか面白い。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 09:28