bemod

2005年07月20日

イントゥ・アニメーション4 その3

前回のつづき

脚の生えた魚(パイロット版)

by 坂本サク/上映時間:4分

坂本サクさんの新作。残念ながらパイロット版。動画部分の人間に色が入っていないのは仕様なのか、それともまだ塗ってないのか。背景はかなり数があり、どれも存在感がある美しい絵。止め絵の描ける人は良いですなぁ。別に動いてなくても、見れてしまうし(その代表格がNHK教育『新日曜美術館』だったり)。

前作『フィッシャーマン』は主人公不在の未来版プロレタリアアニメ(そんなもんあるんかな)で、小林多喜二の『蟹工船』よろしく小集団が巨人を倒す物語。戦艦大和との兼ね合いとかでちょっと興奮したんだけど、今回の作品はわりと「僕と私の私小説」的なセカイ方面の物語にシフトしている感じがある。ただし、魚は健在。アニメ界の高橋よしひろさんみたいに魚縛りで突き進んでいくんだろうか。だとしたらちょっと嬉しい。

by 細川晋/上映時間:9分11秒

人形アニメ。造形がとっても繊細で、特に雨の中の滑り感が非常に生々しかった。先日、NHK教育で放送されていた『ETVスペシャル ノルシュティン特集』でノルシュティンさんがこの作品について触れており、「主人公が鬼を殺(あや)めた後の苦悩がない」とか「歌舞伎を見たことがあるか? もっと日本文化から学べ」とか言っていたのを思い出した。

たしかに、ノルシュティン流に言うならば、それは間違いなくドストエフスキーの『罪と罰』であって、殺されても仕方のないような相手を殺した主人公が、「自分が殺した」行為そのものに苦悩していく物語でなければならないということだろう。だとすれば、鬼を殺した主人公は森の中で苦悩するのではなく、生活の中で苦悩し続けなければならない。

しかし、ノルシュティンさんが話していた主軸は、ロシア文学のそれであって、今の日本の若者の奥深くに浸透しているとはちょっと思えない。今、ライトノベルの1ジャンルを確立している「セカイ系」はむしろアメリカ文学なのだ…という話の展開はちょっと突っ込まれそうなので中止。

いずれにせよノルシュティンさんの中にあるロシア的リアリズムは、『外套』を完成させない彼自身の問題にも直結する課題であろう。テレビの中で彼が若者に語りかけていた芸術に対する考え方は、僕は共感できる。しかし、少なくとも今の日本の現状では、その捉えられ方にねじれが生じていることは間違いない(だからストレートには学生には通じない)。なぜなら、まず社会の捉え方が違うからだ。身も蓋もない話をするならば、青木雄二さんが生前に語っていたように、まずは資本主義について考える必要があるのだろうと思う。

その流れでちょっと脱線。U2の呼びかけにより実現したチャリティコンサート「LIVE 8」はアフリカの飢餓救済を目的としていた。だけど、少なくともあのイベントは「飢餓救済」は訴えているが、「飢餓を生んでいる社会構造」について訴えているわけではないのだ。つまり、会場でライブステージに上がっている人間と飢餓で苦しんでいる人達の間の立ち居地は基本的に変わることがない。そういう事に関係なく、フジテレビで深夜放送されていたライブの模様に僕は大興奮した。

話が大きくそれたので、一つ戻す。イベント好きの母のツッコミ。日本の伝統文化を学ぶんだったら「歌舞伎」ではなくて「能」ではないかと。僕もその意見に賛成。あれ? 何の話だったかな?


つづく

Posted by Syun Osawa at 23:53