bemod

2005年09月12日

転換期の作法

ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術

2005年8月2日−10月10日/国立国際美術館

転換期の作法東欧諸国の転換期の芸術っていうもんだから、チェコの「プラハの春」とかポーランドの「雪解け」とかを頭に浮かべながら参加したんだけど…。そういうイデオロギーの変遷みたいなものが透けて見えるようなわかりやすい展開を期待する方がマズかったのかも。

第一印象。ローテク。

一番大きなスペースをとっていたイロナ・ネーメトの「27メートル」という作品は、コードレスのヘッドフォンに街の音とナレーションが入っていて、その音を聴きながら定められた27メートルのセパレートされたコースを歩くというもの。悪くないアイディアだが、音に合わせて歩くスピードを僕の方で調整しなければならない。これだったら、sounding space展 のクリスティーナ・クービッシュ作「イースト・オブ・オアシス ─ 音への12の入り口」の方が空間をリアルに体感できる。こちらは空間に音が配置されており、ヘッドフォンをつけて動き回るだけで、音の空間を体験することができる。

他にもフラワーロックのような人形や「iners the power」という架空のフィットネス機器メーカーの作品が展示されていたのだが、どれも妙にローテクな感じがした。ただし「iners」の受動的作業装置というコンセプトは面白く、中でもルームランナーを改造した手押し車作業台型のルームランナーはローテクが逆に効いていたように思う。あと、たいした機械でもないのに、説明が妙にまわりくどくて哲学的なのもいい。

国立国際美術館ハイとかローとか関係なく、わりと楽しく見たのはセープファルヴィ・アーグネシュとネメシュ・チャパによるストーリーボード作品。これはピカソ「ラファエロとラ・フォルナリーナ」とかジャン・コクトーの漫画みたいに絵に言葉がそえられていて、一枚ずつ絵を追っていくスタイル。よくある形だけど、深く考えなくても楽しく見れた。あと、ミロスワフ・パウカの延々と続く壁(ところどころ壁から水が出ているのだが、壁の内側を見ることはできない)も神秘的だった。

てな感じで、それなりに楽しむことはできた。でも、パンフレットのあいさつ文にある「激動の時代を体験している中東欧地域の現代美術」という風には読み取ることができなかった。

チェコのアニメ作家、ヤン・シュヴァンクマイエルの短編アニメ『 スターリン主義の死 』ほど戦闘的にいくことはないにしても、赤塚若樹さんによる同作品の評論文『 戦闘的シュルレアリストの賭け 』(『スラヴ研究』45号)で言及されている「重要なのは創造者が自分の中に持っている『蓄え』の内的な力です。」というようなところは感じたかったんだけど…。

結局はみんな幸せになると日和(ひよ)っていくんだなぁとか、現代美術はコンセプトと企画書があればそれだけで成立するのかなぁとか、いろいろ考えて、でも飲み込めず…。国立国際美術館は建物の造形が斬新で、しかも会場は地下にあってかなり広いという事だけが確実なものとして頭に残った。

Posted by Syun Osawa at 01:10