bemod

2005年09月25日

ちょっとピンぼけ

ロバート・キャパ/文藝春秋

ちょっとピンぼけキャパいいね。お調子者だし、皮肉屋だし、愛嬌あるし、自分に素直だし。愛されているのが良くわかる。ノルマンディー上陸作戦に従軍したという時も、浜辺で写真を撮った後、あまりの銃撃戦の壮絶さにビビって逃げ帰ったことを本の中で素直に告白している。しかも、せっかく撮った写真も現像の段階でパーにしてしまった(写真が残っていないことが逆に有名な逸話になるという稀有な例かも)。

そもそもキャパがなぜ戦場で写真が撮れるのかというと、軍隊に従軍しているから。戦争画の関連でこのあたりの事はかなり興味があるんだけど、長くなるので割愛。本の中ではヘミングウェイが従軍記者として大戦に参加していた時の様子(勇ましーw)や、キャパとの親密な関係(パトロン?)なが書かれて興味深かった。

キャパの戦争に対する視線の矛先はいつも個々の人間に向けられている。例えばこんなくだりがある。ベルリンが陥落する直前、若い兵士がバルコニーから銃を撃っていたときの描写である。

若い伍長は引金を引いて射撃し始めた。
この戦争の最終的な銃を射撃する最後の兵士は、この戦争勃発に最初の銃を撃った兵士と何らの違いも見出せなかった。その写真がニューヨークに着いても、普通の兵士がなんの変哲もない銃を射撃している画面と、誰ひとりふり向きもしないだろう。
その兵士の顔は清潔で、明るくきわだって若々しかった。そして、彼の銃はナチスを倒し続けていた。私はバルコニーの上へ出て、二ヤードくらい離れて、彼の顔に焦点を合わせた。私はシャッターを切った。その瞬間、私にとって数週間以来の最初のこの写真は、この青年にとって生涯の最後の写真となった。
(中略)
私は戦死する最後の男の写真を撮った。この最後の日、もっとも勇敢なる兵士の数人がなおも死んでいくであろう。生き残ってゆくものは、死んでゆく彼らをすぐ忘れるのであろうか。

キャパは祖国(ハンガリヤ)を愛する愛国者でありながらも、一人の独立した自由人であった。文章からのぞく彼の冷めた視線は、彼のような生き方でなければ難しかった時代なのかもしれない。

同時に写真家でありながら、写真が捉えることのできる現実の難しさについて冷静な言葉を残している。厭戦(えんせん/戦争することを嫌うこと)的だから好きだと言っているわけでは決してない。しかし、こういう視点が当時の日本人に欠けていたことも間違いないだろう。司修さんが藤田嗣治さんに対して言いたかったことは、きっとこのあたりではないだろうかと思うのだが、この話はまた今度。

(関連)
加藤哲郎『戦争写真家 ロバート・キャパ』(筑摩書房)
戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 01:20