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2005年11月07日

宮本三郎展 ― 従軍の記録 そして生の讃歌へ

2005年10月−11月/世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館

宮本三郎展 ― 従軍の記録 そして生の讃歌へ宮本三郎さんは《山下・パーシバル両司令官会見図》(1942年)という有名な戦争画を描いた人。この絵は『美術の窓 1991年8月号』(生活の友社)の「特集・戦争画を考える」の中で実施された学芸員・評論家・ジャーナリスト58人を対象に行なわれたアンケートで、太平洋戦争の戦争画としてベスト1に選ばれた作品です。僕も東京国立近代美術館で実物を見ましたが、たしかに迫力満点で決意の強さみたいなものが滲み出てます。ただ、僕的にはベスト1じゃない(写真のまんまなので…)。

それはそれとして、今回の展示の僕的目玉は《飢渇》という作品でした。左腕を負傷した兵士が這いずりながら前進しようとするとき、その悲壮感漂う顔が水溜りに映し出されるという鬼気迫る作品です。彼の描いた戦争画では他にも《落下傘部隊の活躍》や《南苑攻撃》などがあるんですが、どれも堅苦しくて緊迫感にかける感じがある。そんなわけで、彼の作品の中では《飢渇》が一番好きです。

ちなみに今回の展示会では、《飢渇》の横に下絵スケッチも公開されていました。下絵の方は中央の兵士は口を閉じています。ただうつむいて黙々と前進してるだけなんですね。下絵と本番の間にどういった心の変化があったのでしょうか。あと、彼のサイン「sabuRo」というサインの後に「lll」があるのとないのがあるんですが、違いの真意も不明のまま。

展示会の戦争画を漠然と眺めていて気づくことはいろいろあって、例えば素描(スケッチ)の類に描かれた兵隊さんはボケーッと突っ立っている絵や、寝転がって何かを探してるとかそんなのばっかりなんですね。これってロバート・キャパの『 ちょっとピンぼけ 』に書かれていたこととオーバーラップします。従軍しても、なかなか戦闘にお目にかかれないという意味で。

彼は戦後、戦争画を乗り越えるため《死の家族》という作品を描いていて、今回はそれが展示されていました。そして彼はこの作品について『アサヒグラフ 1951年1月31日』(朝日新聞社)に以下のようなコメントを寄せています。

「死の家族」は特定の国の風俗でも、事実に即した情景でもないが、われわれの傷ましい悲劇的な前代を象徴するような「主題画」を描きたい…。

中央に寝そべる二人の死者。後方の男が一瞬、山下奉文大将に見えてドキッとしました。『毎日グラフ臨時増刊 1967年11月号』(毎日新聞社)の戦争記録画特集で行なわれた座談会「制約の中での芸術」に宮本三郎さんが登場しているのですが、そちらはまだ未読。どういう気持ちなのかは、今の時点ではよくわかりません。

本展示会のサブタイトル「従軍の記録 そして生の讃歌へ」の「生の讃歌」はよーするに、女性の裸と花。彼は戦後、女の裸と花をひたすらに描いて過ごすのですね。日本人体系のズングリ短足で、丸みがあって必要以上に艶めかしい。エロさ満点。彼の描く幻想的でカラフルなタッチは、実は戦前に従軍したときのマニラの風景画でも見ることができます。この使い分けに何を見るでしょうか。

《飢渇》(c)宮本三郎(1943年)
《飢渇》(c)宮本三郎(1943年)

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 22:46