bemod

2005年11月29日

Rendez-vous 2005 映像×音楽 その2

前回のつづき

FANTASTIC

by Patrick Volve, Arno & Cale(2004年)

アメコミ風(正確にはフランスのBD風か)の漫画を3D処理で奥行きを持たせながら展開させていく。この作品はmellowのPVで、曲もなかなか僕好みでした。検索してみると2004年にはトルネード竜巻と対バンやってたりするのね。ふーん。

動きという意味ではアニメーションらしさは少ない。ただ物語の展開はとても上手いと思う。最初に実写でカラー漫画(BD)が描かれていき(これがまた上手なんだな)、そこで描かれたキャラクター達が、あるところを境にして奥行きを持ってアニメーションになるという素敵な展開。井端義秀『 夏と空と僕らの未来 』のような漫画内アニメーションという力技ではなく、実写で漫画が描かれていく様子も踏まえた抑えた演出。あるところを境にして3Dになり、漫画の外側の問題を最後に物語の中に持ち込んでいる。

途中で画面が黒に侵食されはじめ、やがて物語は曲とともに終焉を迎える。画面を埋め尽くした「黒」は何か? この悲しい結末は手描きで漫画を描いたことのある人なら、一度は経験したことのある悲劇だろう。

how about that

by Vincent Patar & Ste'phane Aubier(2005年)

パペット・アニメーション。videos.antville.org をチェックしている人なら感じていることだと思うが、実はミュージック・クリップに人形アニメを使うケースは少なくない。もしかしたら客層が近いのかも。ゆるい曲にテンポのあるコミカルな動きの人形たち。しかし、ほのぼの人形アニメ=シルバニアファミリーの世界観と勝手に決め付けている僕の狭い心には物足りない。僕はきっと日本の伝統であるキン消し(キン肉マン消しゴム)の世界観でないと満足できないヤツなのだ。

駅ニテ

by 喜田夏記(2004年)

制作者の喜田さんはデパペペのPVなども作っている人らしい。トークショーでの話によると、この作品は絵を描いて、その絵をふくらませてアニメーションに仕上げたとの事。トークショーではいい作品の部類に並べられていたが、僕は birdの二番煎じみたいな曲 をおいしく消化しきれなかったため、そこから先はミュージック・クリップとしては見てない。幻想的な背景の上に外国人モデル(?)の実写切り抜きアニメが重なる姿と、この曲の間に親和性を見つけることは、男子(特に僕のような腐オタ)にはちょっと難しかったようだ。

-SAI-(前編)/廻る、巡るその核へ

by 西郡勲(2004年)

3Dの表現力を舐めてたことに反省。とんでもない作品で、帰りにすぐにTSUTAYAに走ったほど。ACIDMANの曲も素晴らしく、ここまで曲とアニメーションが対になって作品へと昇華しているものを僕は知らない。

ゴーギャンを見たときのような、色の破壊力。黒く抑えられたトーンの中で鮮やかに照らされる花火。荒廃した街を彷徨うカラスが、花火の中に飛び込む。それが『-SAI-(前編)』。

そして『廻る、巡るその核へ』。一転して闇の中、並列に並ぶ個性のない死んだ森。その中央から花たちが色を持って出現する。やがて木にも色がつき、木々の合間から動物たちが甦る。色が色を生み、核爆弾のように凄まじいスピードで闇を飲み込んでいく。カメラがパーンして世界観を映し出したとき。そこに見えたものは「色のドグマ」だった。淵に動物を配した円環の中央からあのカラスが飛んでくる。カラスに色はない。白いカラスはどこへ飛び立つのか…。

トークショーの中で制作者の西郡さんは「ストーリーはない。」と話されていた。さらに、単純にドラムの音に合わせて映像を作っていくのではなく、ギターの間に合わせるなど、曲の抑揚や展開を考えながら作っていったそうだ。

ありふれた3D作品はいくら絵が綺麗だったとしても、観客から見るとどこかよそよそしく、人間味のない作品に感じられることが多い。しかしこの作品は違う。荒々しく、生命力みなぎった映像を3Dで表現している。ストーリーではなく映像のインパクトで引っ張っていったことで、曲がバックミュージックに押し込まれることもなく、曲と映像が50×50の関係をギリギリの緊張感で保っている。まさに、本イベント「映像×音楽」にふさわしい作品だった。

最後に制作者の西郡さんが「好きな曲で映像(PV)を作れることは稀だ。しかし、いい曲には必ずいい映像がついている」と話されていたのがとても印象的だった。

Posted by Syun Osawa at 23:34