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2006年02月27日

藤田嗣治芸術試論 ― 藤田嗣治直話

夏堀全弘/2004年/三好企画/書籍/A5

藤田嗣治芸術試論気合入りまくりの芸術論。

1929年生まれの著者が20代の頃に書いた「藤田嗣治芸術論」を、フランスへ移住した藤田嗣治さんのもとへ送り、多数の書き込みを貰った後で返送されてきた代物。おそらくこの本は、そこからさらに夏堀さんによって手を加えられたものなんだと思う。芸術論なんてほとんど読んだことがないので読むのにかなり苦労したが、著者の藤田嗣治さんへの愛がガンガン押し寄せてきて、心の奥底にズシンと残った。

著者が藤田嗣治さんへ向ける愛情は、僕の中にもある。それは例えば、藤田さんは自分自身を「職人」と言っているところだったりする。宮崎駿さんもフランスで行なわれた「宮崎駿―メビウス」展の対談で自分のことを「職人の親分」と言っていて、そういう気質のある人が好きなんだろうな(たぶん)。

藤田さんはこの点について『美術時代』(1937年)の中で

具象を表現する造形技術の不足が、精神力によつて補はれるとは信じられない。(中略)メチエ(技巧)の不足を色彩や歪曲で誤魔化したと見得る絵が相当に多いことは反駁の余地がないであらう。

と語っており、夏堀さんもそこから

「腕一本」ろくに描けぬものに一体絵が描けるものか、というレアリストとしての藤田の気概が充分にうかがえる。

と読み取っている。この本の中に流れている芸術論は江戸の浮世絵の神がかり的な職人技の中に芸術性を見つけることであり、その正統な系譜の中に藤田嗣治さんを見出しているところなんだろう。ただ、「職人(アルチザン)」というのは、美術家の中では侮蔑的な意味でもあるらしい。戦争画とも絡めて、戦後、そっちの嫌味が藤田さんに多く投げつけられたことは、結果的に日本の美術界にとってはマイナスにしかならなかったようにも思える。

戦争記録画はパリ帰りの洋画家たちを巻き込み、多くの画家たちによって描かれた。当時の日本の画壇は悪く言えば西洋の猿真似の域を出ることができず脆弱だった。そこへ藤田嗣治が止めを刺した。軍部の圧力ももちろん忘れてはいけないが、夏堀さんの

西欧的な様式の翻訳趣味に多く依存していた日本洋画壇の根底の浅さが原因だったのではあるまいかとも思われるが、この日本洋画壇における根底の浅さが、藤田などの戦争記録画に容易に主導権を取られた一つの原因となってしまった。

という指摘は、戦後美術の悲しみを見ているとなかなか的を射ているようにも思える。なぜなら戦争画の問題は何度も何度も繰り返し論じられているからだ。夏堀さんは言う。

すぐれた戦争画は、軍の戦争完遂の目的のためという戦争画の倫理的な枠を、その自己の芸術性の自律性によって打ちこわしてゆくという、皮肉にも軍部の戦争完遂の意向とは正に正反対の路線をとるに至った。

戦争画の戦争責任論は論外としても「アルチザン」批判は結果として日本の美術を大きく傷つけたように思う。なぜなら漫画・アニメはアルチザン以外の何ものでもないからだ。藤田はアルチザンを肯定し、なおかつ世界を席巻する芸術作品を数多く残した。そしてその思想がそのまま漫画やアニメに受け継がれた。素人なのでそのあたりを上手に言えないけど、たぶんそう見るべきだと思う。そう考えると、漫画やアニメの文化を現代美術に取り込んでいる村上隆さんや美術評論家の椹木野衣などの活動は日本の美術界にとって二重の悲しみを生む可能性も秘めてそうな気が…。

それはさておき、この本には何度も何度も似たような話が繰り返される。それは藤田さん自身書き込みの中で繰り返しが多いことを指摘している。そのため僕には本全体の趣旨を見通すことが難しかったんだけど、最終的に僕が作者から得た思いというのは以下の言葉にある。

私は藤田の絵から、絵を描くということは、深く愛することと同意義なることを学ぶであろう。何を描くかという以前に、何を最も愛するかが問題なのだ。そして、その愛を無限に深めてゆくことなのだ。タゴールの言うごとく、「吾々は愛の中に全世界を実感しなければならぬのだ。なぜなら、愛が全世界を生み、それを育て、それを自分の懐へと帰すのだからだ。」

相変わらずの浪花節でw

PS.

本書のあとがきに以下の言葉を見つけた。

本書の出版の前に知らないうちに一部が公表されたことは、夏堀もきっと悲しかったと思います。

これは何だろうか? もちろん法律違反を犯しているとか、作品の優劣だとか、そういう意味ではない。そうではなくて、こうした行為は藤田嗣治さんが最も嫌う行為なのではないだろうか?

講談社ノンフィクション賞を受賞した『 藤田嗣治 ―「異邦人」の生涯 』(近藤史人/講談社)では夏堀さんの未発表原稿を引用している。僕は この本の感想 にちょっとだけ嫌味を書いたけど…まぁ、あまり深くは追求しません。

なぜ藤田さんは無名の夏堀さんの原稿に書き込みをしたのか? 優れた評論だったからだろうか? 僕は夏堀さんの「藤田論」に取り組む真摯な態度に心打たれたからだと思っている。やっぱ浪花節ですよ(2回目)。

(追記)2006年04月02日
『パリの異邦人〜画家・藤田嗣治の二十世紀』(NHK/16:45-18:00)という番組で、エンドロールに夏堀邦子さんの名前を見つけた。ディレクターは近藤史人さん。杞憂だったようだ。失礼しました。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 01:30