bemod

2006年03月15日

パウル・クレー展 ― 線と色彩

2006年2月9日−28日/東京・大丸ミュージアム

パウル・クレー展パウル・クレー展っていうか、パウル・クレー・センター開設記念にあたってのちょっとした展示会って感じ?

パウル・クレーは絵から入ったわけではなく名前から入ったので、「ドイツの総合美術工芸学校バウハウスで教師を務めるも、ヒトラーに頽廃美術の烙印を押されて亡命した悲運の芸術家」ってところでかなりフィルターがかかりまくってる自分がいる。そういうこともあってか、展示会自体はどこか観光案内的な装いが感じられて、ぼんやりと楽しむ程度だった。

中国の詩をドイツ語で書き、そこに着色を施してみたり、海に浮かぶ流氷を白い線だけでシンプルに表現してみたり(《北海線画》1923年)、線だけで描かれた安っぽい絵の線一本一本がどちらからどちらに向って引かれたかを矢印で示したり(《からみつく集合》1930年)と、「いろいろやってる感」が伝わってくる(カンディンスキーの美術年刊誌『青騎士』にも参加してるし)。

本展示会のサブタイトルの「線と色彩」に注目してみると、《ペン素描》(1913年)の街並みを描いた風景画で、屋根の部分だけを単純な線だけで捉え始めていて、抽象への目覚めみたいなのが見えて面白い。ベン・ニコルソン展 でも思ったけど、具象から抽象へ行くそのギリギリのところを感じられる当時の絵はかなり萌える。

そこから先は抽象画一辺倒。彼の言う

芸術とは目に見えるものの再現ではなく、見えるようにすることである

という方向に突き進む。線がシンプルになり出して、そこにぼけまくった水彩の色合いが交じり合うところで僕の思考は停止し始めるも、よくよく見れば線がどれもシャープではなくて、なぜか鍵のように先っぽがくねって曲がっており、そこが妙に気になって目が覚めた。

1933年、パウル・クレーは台頭してきたナチスによって美術教師の職を追われるだけでなく、頽廃美術展に17点が出品される(1937年)などの屈辱(今となっては逆に名誉だが)を受けることになる。そんな時代を反映した《来るべき者》(1933年)が今回展示された作品の中で一番印象に残った。シンプルな曲線で描かれた子どもの肉体を鱗のようなものが埋め尽くしている。群集だろうか? 子どもはこぶしを掲げている。他の作品と比べておどろおどろしく、異彩を放っていた。ファシズムの台頭を感じつつ、幼さと根拠のなさが生む恐怖を描いた作品のように僕には思えた。図録にも説明がなかったので詳細は不明。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 01:54