bemod

2006年07月25日

文学者の戦争責任(資料集42)

吉本隆明/2004年/猫々堂/A5

文学者の戦争責任吉本隆明さんの処女作…の復刻版。

全集という商法はあまり好きではなく、できることなら最初に刊行された本とほぼ近い形で読みたいという嗜好ゆえ、猫々堂さんによる復刻版はとてもありがたい(本来は武井明夫さんとの共著なのだが、この本は吉本さんの部分だけを抜粋して復元されている)。

戦後10年の間に起きた左翼系の戦争責任批判に一石を投じて有名になった本。らしい。疑ファシズムと疑共産主義が蔓延する日本では、その両者は入れ替え可能とし、火野葦平と小林多喜二を同列に挙げているところなども面白い。全体主義を大枠に見ながらの主張が、P.F.ドラッカーの『 「経済人」の終り 』にも近くかなりの部分で共感できた。

転向の問題というのは、同じレールの上にあるからこそ可能だということが、新しい教科書をつくる会に元共産党員がいることなどからもわかる。結局、右翼や左翼というのはX軸の右左の問題に過ぎないのだろう(そのとき、Y軸は全体主義と個人主義が当てはまると思う)。吉本さんは「戦後詩人論」の中でプロレタリア詩人についてこう書いている。

プロレタリア詩人は、これと丁度うら返しに、戦争期にはいって、ファッショ的な詩をかきまくって、その社会意識が、内部意識の進化ということに裏打ちされていない衣装にすぎず、社会的な関心、現実への傾斜という事を軸にして、コミュニズムへもファシズムへも、ただちに移行できる精神構造の未熟さを露呈した。

このことが未熟さゆえなのかは次の課題としよう。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:42