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2006年09月08日

トーキョーワンダーウォール 2006

2006年8月12日−9月3日/東京現代美術館

トーキョーワンダーウォール 2006この展示会へ行ったのは 2004年 以来、二度目。

無料でこういう現在風な展示会を見ることができるのはありがたいですな。京都にいる頃は「両洋の眼」という展示会に通っていて、「今」ってこんな感じなのか…と、間違った納得をしていたので。

当たり前だけど好みは人それぞれ。「抽象画が苦手」と大枠で言ってしまうと苦手ではないものもたくさん含まれてしまうので、言い方がなかなか難しい。パッと入ってくる心地よさなどを重視すれば大竹志歩さんの『memoir.06』などは僕好みなわけだけど、そこで考えてしまうんだな。

心地よく感じたのはロシア・アヴァンギャルド好きだからでは? …みたいな。意地悪なもう一人の自分の声。そういうのも含めて、創り手というよりは見る側の感じ方のほうが混沌としている気がする。

そんな昨今、僕がちょっと気になっているのが「笑わせた者勝ち」みたいなノリとか、「インパクトあった者勝ち」みたいなノリが何のためらいもなく肯定されているところ。

今回の展示でもキャラクター絵画(アニメ絵という意味ではない)を思わせる作品とか、ノリに重点が置かれた作品を多く目にした。おそらくそういう時代なのだろう。アナクロ的な悲哀みたいなものを感じさせるものもあるにはあったが、どの作品も自分と絵画(キャラクター)との対話であって、横の作品を眺めてもなかなか繋がれるところがない。だから笑いをとろうとするのかな? 笑いは共通の約束事がないと起こらないから、それを軸にすれば視点も安定する。こんな風に思ったのは、たぶん大槻ケンヂさんの『 新興宗教オモイデ教 』(角川文庫)を読んだ直後だというだけの話だったりするのが悲しい。

表現したい欲求はいつの時代も変わらないと思う。でも作品の見方は多様化してしまった。批評家が批判の先回りをしても抑えきれないほどに。そんな2006年の夏。

Posted by Syun Osawa at 00:42