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2007年05月08日

痛恨の歴史時代

高橋彬/2007年/文芸社/四六

痛恨の歴史時代以前お世話になった某業界紙の編集長が退職後に自費出版された。ちょこちょこと手伝いをさせてもらっていたときから、70歳を越えてバリバリ働く姿には感銘を受けていたが、この本を読んで積み重ねられた教養の深さに更なる感銘を受けた。僕もこういう風に歳をとりたいものです。

で、内容について。

多くの人が社会主義だと思っていたソ連を中心とした社会主義は、レーニンが提唱した本当の意味での社会主義ではなかった。よって冷戦構造とは、社会主義と資本主義の対立ではなく、資本主義の側、正確にはアメリカの思惑によって生かされた仮想敵としての社会主義と資本主義の対立であった。だからこそ、横暴なスターリンが西側諸国にとってちょうどよかったのだ。

このあたりの流れは、自分自身が塩川伸明さんの本などを読んだりしながら感じていたことと重なる部分が多く、冷戦構造と社会主義に対する評価は納得いくものだった。ただし、塩川さんはもう一歩踏み込んでいる。「とはいえ、社会主義としてソ連は存在していたのだから、いかさまであると単純に切り捨てることはできない」と。

著者はここからトロツキーの世界革命に夢をつなげている。これこそがかつての新左翼の向かう先であったはずなのだが、新左翼は内ゲバを繰り返し悪い印象だけを残して消滅してしまった。そのため、僕はどういう理論であれ、社会主義を肯定的に見つめることはできないでいる。

そして、この猜疑の視点は55年体制にも通じている。

浅羽通明『 右翼と左翼 』や小阪修平『 思想としての全共闘世代 』でもそれとなく書かれているとおり、55年体制とは自民党の政策に社会党が突っ込みを入れるという漫才で成り立っていた。この漫才は吉本だけの専売特許ではなく、美少女ゲームの中でも通じてしまう日本文化の根幹をなすコミュニケーション手段である。異形の弁証法と言い換えてもさしつかねない(ウソです)。

社会主義諸国が崩壊したのは耐用年数が過ぎたからだと著者は書いている。この点も納得がいく。仮想敵として存在していた社会主義が自滅したわけだ。そして、その後に起こったのは凄惨な民族紛争と宗教対立。昔からある古典的なテーマに再び人類は立ち戻ったに過ぎない。

問題はここからである。次の夢は何かということだ。

著者は日本は世界貢献宣言せよと書かれているが、僕はもう少し高度な夢が必要なのだろうと思う。そして、その夢を見つけた人にこそ真のノーベル平和賞は与えられるべきだと思う。

Posted by Syun Osawa at 00:18