bemod

2009年09月30日

魍魎の匣(全3巻)

京極夏彦/2005年/講談社/文庫

魍魎の匣(全3巻)京極堂シリーズ2冊目、読了。これまた面白かった。『 姑獲鳥の夏 』よりもでかい話になっていて、そのぶん話も長くなった。一つの話でありながら、複数の事件と物語が交差するというアクロバティックな内容で、それぞれの点と点がラストに近づくにつれて華麗に繋がれる。そのドライブ感がヤバい。分冊版で読もうと決意したとき、3冊はちょっと長いかなと思ったけど、全然そんなことはなかった。何でこの人の本ってこんなに読みやすいんだw

今回は科学と非科学といったテーマを扱っていて、そういう意味でも興味深い作品だった。京極堂シリーズの時代設定の上手いところは、戦後間もない日本を扱っているところで、当然の事ながら作品の舞台での科学技術は今よりも低い。だから、当時はまだ科学的検知がとれてない事象も多いわけだが、その謎の部分を京極堂は今の科学技術の発展を予見しているかのような言葉で解き明かす。例えば今回なら脳と身体についての話で、池谷裕二『 単純な脳、複雑な「私」 』に通じるような話を京極堂の持論として展開している。実に上手い。

本作は映画化のほか、アニメ化もされている。それだけストーリーが面白く、キャラクターがよく描けているからなのだろう。たしかに、個性的なキャラクター達は漫画的な振る舞いをしているようにも思えるが、だからといって本当にメディアミックスに向いているかどうかというと、そこにはちょっと疑問がある。

というのも、先日『バトル・ロワイヤル』という映画を見た後で、Amazonの感想をチラチラ眺めていると、「映画版はそれなり面白いが、小説とは別物、上手く映画化できていない」との評価が多かったのだ。『 姑獲鳥の夏 』の映画についても似たような感想が目立っていた。実のところ、僕は最初、京極堂シリーズは小説ではなく映画を観ようと思っていたのだが、友人に「あれはやめとけ」と止められて、小説に切り替えたのだった。

これらの本に共通しているのは圧倒的な文章量で、読者はその言葉の集中砲火そのものを楽しんでいるようにも思える。だから「そうした言葉をいかに省いて映像に語らせるか」を主軸にした映像というメディアとは鼻からそりが合わないのかもしれない。でも、アニメのほうはそれなりの尺で作られているようだから、ちょっと見てみたい気もする。

ところで、絹代のモチーフは、田中絹代かな?

Posted by Syun Osawa at 00:31