bemod

2009年10月02日

Aira Mitsuki LIVE TOUR 2009

2009年9月18日/20:00−22:00/渋谷O-EAST

Aira Mitsuki PLASTIC TOURアイラの無料イベントばっかり行ってたせいか、ライブで自然に楽しんでいる自分がいることに驚いた。池谷裕二『 単純な脳、複雑な「私」 』では同じ事を繰り返し経験すると好きになると書かれていたが、まさにその通りだな。愛着湧いてるw

今回のライブはダンスはもちろんのこと、ドラム叩いたり、MicroKORGを弾いたりと、あれこれ忙しくしていたのが面白かった。この忙しさが面白いという感想は、初めてアイラのインストアへ行ったときの感想 と同じ。よーするに、あの時から全く変わってないようにも思えるし、変わったようにも思える。うーむ。

そんな懐古趣味のおっさん目線でライブを眺めながら、何で僕はアイラの追っかけみたいな事になっているのかをぼんやりと考えていた。身も蓋もなく言えば、下品だったから好きになったのだ。それを良い意味で…などとフォローするつもりも無い。ともかくいろいろなものに飽きていた中で、デートピアを含む彼女たちの振る舞いがとても滑稽に見えて、多分そこに惹かれたのだと思う。

今、アイドルたちが歌わされている「エレクトロ」なるものは、早い話がダフトパンクなわけで、「いやいや…そうじゃないですよ! もっと歴史は深いんですよ!」なんて言われても、ダフトパンクとミシェル・ゴンドリーだと言い張っていいくらいにそのものだろうと、僕は思う。そして、アイドル歌謡に限定してしまえば、その二人のエッセンスを取り込んだ中田ヤスタカ氏の独り舞台と言っても過言ではない(もはや自明)。

そのほか「エレ・ポップ」「テクノ・ポップ」など様々な呼称で爽やかなピコピコ系を歌わされている人たちもおり、地下アイドル界という狭い島宇宙の中は百花繚乱の様相を呈している。しかし、それらの音を含めても、すべて中田ヤスタカ氏の音に回収されてしまうのが、今のこの界隈の困難さである。それくらい中田氏の音は完成されており、良い意味でも悪い意味でも平均的に優れているのだ。彼は別にこのジャンルの創始者ではない。にもかかわらず、他のミュージシャンの音を「中田ヤスタカ」っぽいと思ってしまうのは、他の誰の音でもあるような所在の無さが彼の音楽に宿っているからだろう。

一部には、テクノと見なしていなかったこの島宇宙の人たちが、テクノの領域に侵食していることを快く思わない人もいるようである。Perfumeや初音ミクにテクノの地場をあらされてウザいと思っている人はいるだろうし、アイドルをメタ読みしながら消費するという「俺達はわかってる」系の人(しかし中森的アイドル評論とも違う)に拒否反応を示す人もいるだろう。

Perfumeがあまりにも売れ過ぎたがために働いてしまうこれらのマイナスの揺り戻しは、自分のいるその場所が過去へと相対化されている(保守化している)ことに気づかされる瞬間でもある。この場所は一体どこなのか?

話が逸れた。

ただまぁ、この手の迷路にハマりこみ易いのがこの界隈の音楽であったりするのかな? …なんてことを、衣装チェンジの間に上映されていた謎のロボットアニメを見ながら思っていた。でも、僕の原点はやはりアイドルオタクであり、「○○かわいいよ○○」的な動物であることを否定しない。そんな僕には、より過剰に動物たろうとするアイラのパフォーマンスは、僕より速く走るチーターのようであり、しかしその方向はあさっての方向を向いており、行く末に明るい未来も見出せない。

にも関わらず、その速度を速めながら、電子音楽のわびさびを一気に破壊しにかかる品の無さが、僕にはとっても可愛らしく思えるのだ。もう教養主義や権威主義はたくさんだ。音楽はもっと感覚的なものでいい。ダサくてもいい。語りえないものであって欲しい。もちろんこれは「アイラかわいいよアイラ」と同じ意味である。

Posted by Syun Osawa at 01:43