bemod

2009年12月25日

neoneo展 Part2「女子」

2009年10月31日−12月27日/高橋コレクション日比谷

neoneo展 Part2「女子」今、熱い女性アーティストの作品を集めた展覧会。

少し前から大竹夏紀さんの作品が気になっていて、ちょうどこの展覧会に出品されていると知って観に行った。今回展示されていた作品は意図的に集められているはずで、そこにあるテーマ性は集めたキューレーターの意図が色濃く反映されているのだと思う。だから、この展覧会を見ただけで「最近の女子たちは…」なんて僕が書いてしまうのは、一面だけで全部を悟った気になるおっさんの悪癖でもあるんだろうけど、まぁ…そこは仕方ない(実際におっさんなのでw)。

入り口で貰ったペーパーの紹介文には、最近の女性作家たちを「元気な女の子たち」と書かれていた。それが今回の展覧会に集められた女性作家たちの作品にも反映されているのだろう。僕が全体を通して見て感じたのは、「ネガティブなのにPOP、ナイーブなのにPOP」という感覚だった。金太郎飴のようにどこまで切ってもポップな要素(これを元気と言い換えてもいいのかな?)しか見えてこないのに、その反面、自分たちから醸し出される「可愛らしさ」を見つめる視線は冷めており、また非常に鋭い。そんな印象だった。

恣意的にそういう印象を受けた作品を挙げると…

樫木知子《花》は、日本画風の平面的な絵の中央にうつぶせの女性が描かれている。その女性の様子は、疲れ果ててぐったりとしているようでもあるし、何かを思いつめているようでもあるのだが、つま先はしっかりと地面を捉えていて、そこに力を感じさせる。

ヒョンギョン《オチコボレ》が一番典型的かもしれない。中央にいる女性は鎖につながれており、日本刀や韓国の刃物?などでめった刺しにされている。右下にはマクドナルドの食いかけのポテトが散乱している。この状況は日韓問題やファーストフード文化にアイデンティティが揺らがされている女性の悲哀ようにも見えるのだが、近寄ってよく見ると、体は全部ふざけた絵の集合体でできている。この両義性が「ネガティブなのにPOP、ナイーブなのにPOP」という感覚そのものだと思う。

宮川ひかる《Cecile Belmont》は写真作品。女性のへその下あたりにクリップの形をした鎖の傷痕がタトゥーのように刻み込まれている。中学校のときに、僕のクラスの女子たちが、自分の好きな人の名前を手に彫ってたのを思い出した。そのとき彼女たちが、クリップやら名札の針なんかを使っていたこともあって、あのイメージが妙に重なった。

和田典子《fragranece of a murmur》は立体作品。壊れてゆがんだベット(木枠しかない)が会場の中央に置かれていた。その寂れた造形とは裏腹に、木枠部分はすべて花で埋め尽くされている。

もちろんそういう作品ばかりではない。奇想の王国 だまし絵展 を観に行ったり、谷川渥『 図説 だまし絵 』を読んだときに考えていたフレームの問題(作品と現実の境界の問題)を扱った作品もいくつかあった。

春木麻衣子《yell》などはその代表的な作品だろう。絵の中に額縁も描かれている。額縁の内部は黒一色で、その外側にある額縁は、下に行くほど黒くなって、内部の絵と同一化している。

竹村京《羽衣》は絵の中に森が描かれており、その絵の描かれたキャンパス全体にレースがかけれられている。そして、そのレースに中央部分に、絹布が配置されており、その絹布が、後ろ絵に描かれた木の枝にかかって見えるよう工夫されている。

僕の勝手な思い込みで、現代美術にはこの手(フレーム問題系)のコンセプトの部分で批評的な言葉を誘発する作品が多いと思っていたのだが、そうした作品はそれほど多くなく、あくまでイメージ先行で、自分の思想をダイレクトに照射している作品が多いように思った。ガイドの紹介文の言葉を借りるなら「元気な女の子たち」の作品ということになるだろうか。

次の作品はそれがよく出ていたと思う。

名知聡子《ポートレイト》の中央にでかでかと描かれた女性の顔は本人だろうか? 鈴木杏に似てて可愛いなw とか、そういう問題意識しかない時点で、僕の眼はすでに終わってるのだが…。

藤田桃子《タオ》は、何だかよくわからない生命体がキャンバス全体に描かれていて、その生命体の両端から女性の顔が出ている。中央部分は黒く脈打っている感じで、よく見ると鳥がいくつも重なっているように見える。鳥と女の関連性はよくわからないが、ともかく生命力がヤバい。

大竹夏紀《ひみつ》は今っぽい。趣味的に好きなのだが、その感覚が世間に引きずられて(まさに今っぽさに引きずられて)、気に入っているのか、それ以外の何かなのかはわからない。ともかく今っぽい感じがする。アイドルオタクだから、アイドルを描く絵画にひかれただけかもしれない。ともかく、アイドルを取り巻く花の創発的な広がりに、とてつもない生命力を感じたのだった。

これらの作品は、端的に強い感じがするし、見ていると気持ちをぐいぐい持っていかれる。そして、僕はそういうストレートな作品にめっぽう弱い。

PS.

絵の感想とは全然関係ないが、松井えり菜《しゃんぴにおん》は、最初に見たとき、雑誌『ユーロマンガ』で連載中のニコラ・ド・クレシー「BIBENDUM CELESTE」に出てくるロンバックスかと思った。空耳的な意味で超似てる。

Posted by Syun Osawa at 00:09