bemod

2010年10月14日

コンテンポラリーアニメーション入門 第6回

2010年9月25日/16:20−20:00/東京藝術大学 馬車道校舎

コンテンポラリーアニメーション 第4回前回前々回 に続いてパルン作品を堪能。3回にわたってパルンの作品を見て、アニメーションを見る視野が少しだけ広がったように思う。

パルンの作品は「草上の朝食」のように、わりとスッキリ楽しめるものもあれば、「ホテルE」のように「ちょっと何言ってるかわからないですぅ…」的なものもある(どちらかというと後者のほうが多い)。僕の場合、商業アニメを見慣れてしまっているせいか、作品が始まったら最初の方にわりと核となる登場人物が出てきて、その人のキャラクター性を強めつつその作品の世界観(もう少し正確に言えば、そのストーリーが向かうべき方向)が示されると思い込んでしまっている。

もし後半でどんでん返しがあるにせよ、そのどんでん返しを演出するための方向付けはやはり必要で、その導線に観客をいかに引き込むかが鍵であると思っているわけだ。しかし、パルン氏の作品はキャラクターの動きとストーリーが明確に連動しているわけではなく、思わせぶりな演出と細やかなディティールだけが表現されている。僕は何とかそのバラバラのパーツを集めながら一つのコンテクストを作り上げようと苦心しながら見つめるのだが、そのジャーゴンの多さと繋がらなさに途中で挫折し、ついウトウトしてしまったりするわけである。

普通ならそれだけで「つまんね」となるのだが、パルン氏の作品には社会的な皮肉だったり、人間の奥底に潜むやらしさみたいなものが隠蔽されている気がして、単純に取捨する気にもなれないのだ。どうしてもパルンの作品をやっつけてやりたいという気持ちにさせるのは、彼の作品が決して場当たり的に作られているわけではなく、何かしらの意図をもって構成されているからだろう。

ストーリー性とキャラクター性。アートアニメーションはそれ以外を含んでいて、明確なコンテクストがあるわけでもない。このコンテクストの無さが面白さでもある。評論家は結局過去の有名なクリエイターの作品やアメリカ黄金期のアニメーションなどを参照項にして語っているに過ぎないし、その得体のしれないものに対して評価を下す側も、結局は実際のクリエイターだったりすることが多い。

どの作品も初見だったので、作品についてはまったく深くは入り込めないが、次に見るときにはもう少しだけ深みのある見方ができると思う。あと、自分も趣味でアニメを作ったりする生業のため、彼のような社会性とオルタナティブを兼ね備えた作品があることに少しだけ勇気付けられたりもした。僕はもう少しわかりやすい方向性を目指しているけれど、あの突き放した感じはわりと目指したい方向性だったりもする。

Posted by Syun Osawa at 01:37