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2006年02月05日

聖徳記念絵画館 その2

年中無休/明治神宮外苑

聖徳記念絵画館前回のつづき

西郷隆盛の扱われ方

日本の戦争画 ― その系譜と特質 』(ペリカン社)の中で、著者の田中日佐夫さんが西郷隆盛は軍人臭を消すために「犬を連れた着流し姿のおじさん」に仕立てられたという話を書かれていたが、結城素明《江戸開城談判》にはまさにそんな姿の西郷隆盛が登場する。相手は勝海舟。この絵を描いた結城素明の生没は1875-1957年。西南戦争で西郷隆盛が死んだ年が1877年だから、上で描いたような西郷像の影響を受けていると言えなくもない(いずれにせよ、リアルタイムに記録した記録画ではない)。

政府に逆らって反乱を起こした人の絵が、この絵画館の中に何枚も飾られているという時点で、彼の当時の立ち位置がうかがい知れる。本来なら政府運営に暗い影を落とすはずの西南戦争についても、近藤樵仙《西南役熊本篭城》という絵が堂々と飾られていた。しかもこの絵は西郷軍目線で描かれている。

もちろん、それらの絵画が描かれた最も大きな要因は、彼が明治維新を切り開いた立役者であるということに他ならない。小山栄達《習志野原演習行幸》では、金華山(馬)に乗る明治天皇の傍らに西郷隆盛が立っており、二人で筑波山を眺めている。1873年(明治6年)の大和田ヶ原での軍事演習の様子を描いたこの絵が、描かれた最後のツーショットになったのだろうか。

教科書の中の歴史画

小中学校の社会の教科書には聖徳記念絵画館の歴史画が数多く登場する。田中日佐夫さんは『 日本の戦争画 ― その系譜と特質 』(ペリカン社)の中で、歴史画はそのまま事実ではないのだから、安易な使用にはやや疑問があると釘を刺していた。だが現状はビジュアル的に栄えるという理由(…かどうかはわからんが…)で使用されているみたい。例えば、広島晃甫《各国公使召見》、山口蓬春《岩倉大使欧米派遣》、和田英作《憲法発布式》あたりは、当たり前のように掲載されている。

聖徳記念絵画館の中の戦争画

明治時代は大きな戦争を数多く経験したこともあって、戦争を描いた絵画、いわゆる「戦争画」も多く飾られている。鳥羽伏見の戦いを描いた松林桂月《伏見鳥羽戦》から始まり、西郷隆盛の西南戦争、日清戦争を経て日露戦争まで。金山平三《日清役平壌戦》、太田喜二郎《日清役黄海海戦》、鹿子木猛郎《満州軍総司令部の奉天入城》、中村不折《日露役日本海海戦》などが印象に残った。

中でも、太田喜二郎《日清役黄海海戦》は飛行機から見たような上から構図で描いている。飛行機のない時代にこの絵を描いたのだろうか。のちの十五年戦争時に描かれた航空写真をトレースしたような記録画の構図とかなり近い。詳細は不明だが、司馬遼太郎『坂の上の雲』(文藝春秋)にも登場する比叡、金剛、定遠、鎮遠などが絵解きの形で登場していて面白い。絵として一番好きなのは金山平三《日清役平壌戦》。この頃の絵は写真の代わりを担っていることもあり写実性が非常に高い。パノラマに描かれた日清戦争の絵も同様。

そういう意味では、十五年戦争時に描かれた戦争画は軍部から求められた写実性と、ロマン主義復興があったにも関わらず、日清戦争時ほどの職人的な写実性はないし、むしろ個々の画家の個性が絵に出ているように思える。当たり前といえば当たり前か。そうでなければ、『みづゑ 1941年1月号』に掲載された座談会「国防国家と美術」で軍人がわざわざ苦言を呈したりはしないわな。

(関連)戦争と芸術

Posted by Syun Osawa at 00:31